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2015年8月11日 (火)

神社仏閣に参拝するにあたり17(命とは・なぜ生きる編)

お好み焼きを差し入れで頂きました ヽ(´`)/  今回の記事は、お好み焼きについて・・・

ではなくて、それを包んであった新聞紙に、人生相談が載っていて、その内容がどうも気になり、それを足がかりに、命とは・なぜ生きる ということを、皆さんと考えてみたいなと思いました。

ですので、今回の記事は、平野郷とは、全く関係の無いシリーズの記事です・・・

今回は、特に中盤以降、霊的なオハナシてんこ盛りですので、キライな方は、他のカテゴリーを見てくださいね。

では   その 気になった新聞記事です ((・()・))


人生相談


けんかをすると「死ね」という三男

回答者 高橋源一郎 (作家)


小学2年の三男です。けんかをすると 「死ね」 「死にたいわ」、気に入らないと 「出ていく」 と手がつけられません。

学校ではお友だちにそんな態度は取らず活発です。 生きる楽しさを伝えたいのですが、この言葉を聞くと、現実にならないよう祈るばかりです。   (40代・女性)



こんにちわ。 我が家にも、小4と小5の男の子がいるので、お察しします。 

さて、三男ちゃんは、学校ではふつうなので、家庭もしくはお母さんに不満があるのかもしれません。 

上にお兄ちゃんたちがいるので愛情の不足を感じているとか。

我が家では、そうならぬよう、猛烈に愛してあげることにしています。

「死ね」といわれたら 「いやだあ、××ちゃんと会えなくなるから、死にたくなあい!」、

「死にたい」といわれたら「××ちゃんが死んだら、お母さんも死んじゃう!」、

「出ていく」といったら「寂しくなっちゃうから、出ていかないでえ!」と叫んでみましょう。

でも、それだけではまだ不足。

隙あらば、抱きついて、チューしてあげて「好き、好き、大好き」といってあげましょう。

さらに、夜寝るとき(我が家では、いつもこうしていますが)、先に寝ている三男ちゃんのところに行き「さあ、大好きな××ちゃんはもう寝ているのかなあ」といって、しがみつき、「一緒に寝て、お願い!」といいながら、もちろんチューの嵐。

可能なら、反対側からお父さんにも参加してもらって「おれの方がもっと好きだ」といってもらいましょう。

三男ちゃんが「お願い、もうやめて!」というまでやってあげてください。

我が家では、これを「愛情の押し売り作戦」と呼んでおります。

布団で遊んでいる兄弟に、わたしと家内が近づくと、彼らは「おとなしく寝るから、チューしないで! ごめんなさい!」と降参して、効果抜群です。

毎日新聞 くらしナビ 2015年(平成27年)4月27日(月) より(原文のまま転記)


はい  この相談記事を読まれて、皆さんはどのようにお感じになられたでしょうか

まず 相談者のお母さんは、子供さんに、生きる楽しさを伝えることで、「死ぬ」「死にたいわ」「出ていく」などの自暴自棄な、言動や行動、相手を傷つける言葉を止めさせるのにはどうしたものか、と言われた上で、今後を不安に思われています。

それに対して、回答者のアドバイスでは、愛情が不足しているという推測から、「我が家?」の方法を薦めておられます・・・・

様々な判断や、各家庭の教育方針がお有りでしょうから、それはそれでいいのでしょうが・・・・

それでも  やっぱり  何か チガウぅうう~~~~・・・・・・ (≧≦)

愛情不足が原因の一つかもしれませんが、まずは、自分の思い通りにならなければ、「死ね」「死にたいわ」「出ていく」などという、言動や行動が、良いことなのか・どちらでもないことなのか・悪いことなのかを、保護者や指導する立場にある人が、客観的に判断する必要があります。

今回の男の子の環境や経緯がわからず、お母さんの相談内容から判断するしかないので、詳しくはわかりませんが、少なくとも、良いことではありません・・・ 

でも、それを指摘するだけでは、ケンカになるだけです・・・・

それがどういうことなのか  「本当の意味で理解していない」 からなんです

自分でも、わかっていることを、他人から指摘されると、反論・反発・言い訳・隠蔽・ごまかし・正当化したくなるのが人間の弱いところです・・・・

では  どうしてあげるのがよいのでしょうか??

何故それが良くないことなのかを、その子なりに理解させてあげないと、同じことの繰り返しとなります・・・・・・

自分の発した言葉や、行動で、傷つく人がいること、困る人がいること、気分を害する場合もあること  など

自分の言動・行動で、どういうことが起こったか、相手がどういう気持ちになったか・・・

それを ウヤムヤにしていると、相手を思いやる心が育ちませんし、責任感も、いつまでたっても身に付きません・・・・・・

今回の相談記事のように、「死ぬ」に対して「お母ちゃんも死ぬぅ」ではキリがないのです。

良くない(悪い)ことを、良くない(悪い)と言わずに肯定する・・   

これでは、子供は、勘違いしてしまいます。 (大人でもですが・・・)

お子さんのために良くないだけでなく、相談者のお母さんの心配が現実になりかねません。

それに  いつまでも子供と思っていても、小4・小5(10歳・11歳)にもなると、オッサンにチューなんかされるのが嫌で嫌でたまらないと思います・・・ 

だから 降参しておく  負たフリをする・・・・・  ψ(`´)ψケケケ

完全に 子供の方が、一枚上手です・・・・・・・・・・・ (;´д`) ばれた

ここからは、自分も、相手も大切にしないような言葉・行動をすることが、なぜダメなのか どうしたらよいかを霊的なオハナシも交えて、考えていきたいと思います。

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第1章 当たり前はあたりまえ?

日本という国は、戦後に目覚しい発展を遂げて、現在の姿が在ります。

蛇口をひねれば、日本全国どこでも、浄水が出て、スーパーやコンビニの棚には、商品が溢れ、生鮮食品は、期限を過ぎればすぐ廃棄・・・・・ 停電も何年かに一度くらい・・・・

失業率が上がり、就職難と言われていても、路上に餓死者が転がっていたり、地雷や、爆撃、狙撃に怯えずに外を歩けますし、猛獣や、伝染病の危険もほとんどありません。

でも  世界中では、毎日のように子供が、飢餓や、病気で死んでます。

満足に食べることも、教育を受けることもできない国や地域の人たちも多いのです。

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私たちのほとんどは、戦後に生まれて、戦中・戦争直後の苦労を知りません。

生まれたときにはすでに、平和で、インフラが整備され、便利で安全な暮らしや生活・教育が当たり前になっていて、有り難さも、ほとんど感じていないんです。

でも  いざ地震などで、電気や水道、ガスが来なくなると、その時 分かるんです・・・・・・

そう  人は失ってから、ありがたさがわかるように、初期設定されて、生まれてきています

え゛っ!! Σ(゚д゚;)

やってもらって当たり前、当然、別にィ普通ぅ と思っているうちは、その人の手をどんどん離れ、いずれ失っていく・・・  そういうことが多くなると言うことです。

収入(仕事)  家屋や土地・財産  生活環境  健康  身体の機能  パートナーや子供(家族)  友人知人  その他 大事にしているもの・思っているもの・・・・・・・・・ 

心から有り難さに気付くまで・・・・・・・・

親が死んで、その有り難味がわかった・・・・  ガンになってやっと、健康の有り難味がわかった・・・・・

世間でよく聞くこんな話は、本当なんです。

では   どうしたらその流れを止められるんでしょう??

まずは   何事も 「あたりまえ」 と思わないことです。

正確には、何事も あたりまえじゃないことに気付く ということです。

お金を払ってるんだからとか、給料を出してるんだから、世話をしてやってるんだからと思っていると、その流れを止めることは出来ませんし、さらに 流れを逆回転させて、「運のいい生き方」の流れにすることはできません・・・・

皆さんは、裕福な人は、広い家に住んで、お金持ちで、いい車に乗って、いい会社のいい役職で、と想像されるかもしれませんが、それは、この世での一部分表面上のことにすぎません。

それが 「幸せ」 だと思われている人が、多いのも事実ですが・・・

本当に裕福な人は、思慮深く、自分だけでなく、相手を思いやる心を持ち、他者(自然・環境・生き物・目に見えないものなど)を愛する(許せる)です

財産や地位、学歴、名誉、職業などや、物質的なもの、国籍、性別、年齢、外見などは関係はありません・・・・・・・・

今回の相談のように、「死ね」「死にたいわ」ということを平気で言う人は、霊的には自らの命を捨てています。  言葉には、昔から言霊(ことだま)が宿るといわれていますが、本当なんです。

何らか(自分や周りの大切な人)の生命エネルギーを失う(奪う)方向に動きます。

本人は気付かない・知らないからでしょうが、残念なことです。

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第2章 命はだれのもの

こども病院という名の、病院があります。

ここでは、病気のために、通常学級に通えずに、院内学級で勉強しながら、病気に立ち向かっています。

ここで一つの詩をご紹介したいと思います

                    宮越由貴奈 (小学校四年)

命はとても大切だ

人間が生きるための電池みたいだ

でも電池はいつか切れる

命もいつかなくなる

電池はすぐにとりかえられるけれど

命はそう簡単にはとりかえられない

何年も何年も

月日がたってやっと

神様から与えられるものだ

命がないと人間は生きられない

でも

「命なんかいらない。」

と言って

命をむだにする人もいる

まだたくさんの命が使えるのに

そんな人を見ると悲しくなる

命は休むことなく働いているのに

だから

私は命が疲れたと言うまで

せいいっぱい生きよう

電池が切れるまで 子供病院からのメッセージ すずらんの会編 より

宮越由貴奈さんの母 陽子さん

五歳の時、神経芽細胞腫(しんけいがさいぼうしゅ)と診断され十一歳で亡くなりました。

信大病院での抗ガン剤治療や腎臓を片方取る手術に始まり、こども病院に移っての自家骨髄移植やその他にもいろいろなつらい治療を受けながら、入退院を繰り返していた頃、テレビで流れるニュースと言えば、いじめだとか自殺だとかが多く、同じ頃病院では、一緒入院していた友達が何人か亡くなりました。生きたくても生きられない友達がいるのに自殺なんて・・・・・・そんな感じでした。それにちょうど院内学級で電池の勉強をしたばかりだったそうです。

この詩を書いた四ヵ月後に亡くなりましたが、これを書いたとおり充分精一杯生きました。

書くことがそんなに得意ではなかった娘のこの「命」という詩は十一年という短いけれども凝縮された人生の中で得た勉強の成果なのではないかと思います。

子どもたちと共に  より

ここまで読まれて、どのようにお感じになられたでしょうか

病気に負けまいと懸命に頑張っている人の前で、「死にたいわ」と言えるでしょうか

今 あなたが生きていることも、当たり前ではありません

すでに とんでもなくありがたいことなんです

こんな風に書くと、自分より下を見て、「私はまだマシなんだと納得しましょう」と言っていると思われる方も、おられるかもしれませんが、そうではありません。

何もかも「アタリマエ」ではないということに気付くことが大事なんです。

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第3章 なぜ生きる

私たちの身体は、100年ほどで限界がきますが、「」と呼ぶ部分は、死ぬことがありません・・・・・

人間が死んだ後、その肉体から、魂が離れますが、その魂は、あの世に還り、学び、転生を心待ちにしながら、待ちに待ち、機会が来て、やっと受肉し、この世に誕生しています。

由貴奈さんの詩にあったように、「何年も何年も 月日がたってやっと 神様から与えられるものだ」というのは本当のことです。

そのあたりの説明は長くなるんですが、大事なことなんで、できるだけ簡単にお話したいと思います・・・・

人が亡くなった後、魂は肉体から離れます。  ですが、すぐにあの世という世界に行くわけではありません・・・・・

行くべき世界に旅立つ前に、今までの人生の全ての行い、人に与えてきた苦痛や、愛情をすべて見る(追体験する)ことになります。

自分の行い、言動で傷つけていたとしたら、その思いを、相手を殴ったなら、逆にその痛みを・・・  相手に情けや、愛情を与えたなら、その暖かさを、受け取ります。

ウソも、逃げることも、無視することも出来ません  肉体の無い世界での感覚ですから、鋭敏さはこの世とは比べられないほどのものです。

閻魔大王と十王(じゅうおう)の前で、浄玻璃の鏡(じょうはりのかがみ)に、生前の行いを写されて、天国行きか、地獄行きかの審判を仰ぐというのは、文字の読めない人が多かった時代、悪いことをすれば、地獄に落ちるという、戒めの為のお話ですが、生前の行いの全てを見て(感じて)、さらにそれを逆の立場で体験するというのは本当のことです。

ただ、閻魔大王というような、第三者(誰か)が裁くわけではありません。

あなたの魂 自らが行き先を決めます

どんな人間だろうと、その人の心の中心にある良心は必ず存在しています。

その人が、認知症になっていたとしても、寝たきりで意識が無くて亡くなっていたとしても、その人の人生全てが記録されています。(神様の視点では、人間の一生など、ごくごく一瞬にすぎません)

肉体が無くなれば、自我(じが:エゴ)が崩壊していきます。

魂そのものになれば、言い訳も、ウソもつくことはありません・・・・  

粛々と、公正に、自分を判断・裁いていきます。

そして  自分の行くべき世界を決めて、行くことになります。

たとえ決めなくても、砂鉄が磁石に吸い寄せられるように、同質のものたちがいる世界に引き寄せられていきます。

善い行い(生き方)をしてきた魂は、上の世界に上がっていけますが、善くない行い(生き方)をしてきた魂は、その垢の重さで、下の世界(階層)へと落ちてていきます・・・・・

悪いことをしていないとしても、「私なんて・・」 と自身(自神)さえ信じれなかった人も、上がっていきませんし、自分の中の神仏を信じず、宗教など、外のモノを信じていた(大切にしていた)人も、その宗教という霊界(閉ざされた世界)に引き寄せられます。

(そのあたりのおハナシは、気が向けば記事にするかもしれません (゚ー゚; )

生きることが辛く、苦しいと言われる方も、たくさんおられるかと思います。

自分は何のために生きているのか、何故生まれてきたのかと、運命を怨んだり、悲しんだりされているかもしれません・・・

でも  それは忘れているだけなのです

生まれる前にしてきた約束を・・・・・・

残してきた執着を・・・  次の人生でこそ、絶対!断ち切りますと言ったこと

今度こそは、絶対に間違った人生を歩みませんと宣言したこと

もう二度と、人を怨んだり、傷つけるようなことはしません  優しくなりますと誓ったこと

もう一度生まれることが出来たなら、人のために生きる人間になりますと言ったこと

過去の行いを反省して、今度は逆の人生を歩み、それをすべて受け入れますと言ったこと

前世で犯した罪を、すべて償いますと決意してきたことを

辛いこと、悲しいことさえも、もっと経験・体験することで さらに成長しますと誓ったこと

次の人生こそ、人を愛せる人間に、許せる人間になると誓ったこと

人の数だけ、無数に宣言・計画してきた事柄があります。

でも  この世に生まれ出た瞬間に忘れるようにプログラムされています。

(本性が出ないと、意味が無いからです)

今が辛いということは、過去の思いをクリアするために、あなた自身が用意した課題じゃありませんか

そう  皆それぞれ違った課題に取り組んでいるんです・・・・・(そう思っている人は少ないですが)

あなた一人だけが不幸なのではありません

泣いていても、怨んでいても、暴れても、騒いでも、逃げていても、改善などしません。

短い人生、先送りして終わり   また後悔・・・・  反省・・・・・・ その繰り返しです

そろそろこの辺で、あなたの課題を返済(クリア)していった方が、よくありませんか

あの世は、同質のものたちで固定された世界ですから、成長も変化も何もできません  この世という世界は、違うものたちが混合する、雑多な世界

この世という稀有(けう)な世界  ここでしか成長(昇華)できないんです・・・・・

だからこそ  魂となったものは、神様に計画書を提出して  何とか認可されて、自分のクリアすべき課題を履修する環境が現れるのを、ひたすら待ちに待つんです・・・・

そして

今度こそは、何としても、という思いで、この世に、再び生まれて来ているのです

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第4章 あの世とこの世

あの世だの、この世だの、話がえらいことになってきましたが、大丈夫でしょうか

話しを進めます

あの人は、あんな悪いことをしているのに、あんないい生活を・・・

それに比べて自分は・・・  何て不公平なんだ  と言われる方は、この世という片側しか見ていない(信じていない・知らない)からそう思うのです。

私たちが今、生きている昼の世界が「」の世界  あの世と呼ばれている夜の世界が「」の世界

そう  陰陽(いんよう)2極が対になって存在しているのです。

月と太陽 天と地 生と死 男と女 プラスとマイナス 昼と夜 偶数・奇数 などなど

(その中間的位置のものもありますが)

この世(陽)で、したことは、あの世(陰)で必ず 厳正・厳密に帳尻が合わされます。

それは、善悪どちらに対してでもです。

悪いことをして、見つからなかった、バレなかったことも

良いことをしても、だれにも知られなかった、認めてもらえなかったことも

逃げ得、やり逃げ、やり損はありません・・・・

悪事を行えば、あの世では、この世の何倍もの負債を背負うことになります。

生きているうちに、清算できれば、むしろ幸運です・・・

ただ、この世には時間というものがあるので、時間差が生じ、自分のやったことが(因果)、自分に返ってきていても(結果)、それが、わかりにくいだけのハナシです。

肉体には限界がありますが、魂は死ぬことはありません (例外はあります)

肉体に魂が受肉し、死んで魂が離れる・・・

そうです   魂は、あの世とこの世を、行き来してるんです。

今現在生きているあなたが、昼の世界での、現在の担当者といった感じでしょうか。

魂は同じでも、同じ身体、同じ国、同じ親、同じ環境 など、もう二度とありません。

また・・この世で肉体を持てる時間は、長くても100年ほどですが、あの世では、この世のような時間の経過という概念が在りません・・・・ 

ないものとの比較はできませんが、この世の時間を当てはめると、あの世にいる時間の方が、何十年・何百年・何千年と長いんです・・・・

それだけ簡単には、また生まれることが出来ないということです。

お釈迦様は、この世にある砂1つずつに名前が書いてあって、その中から自分の砂を見つけることが出来なければ、生まれることが出来ない・・  そのくらい大変でありがたいことなんだよと言われていたそうです。

この世に生まれたこと  今生きていること  もうすでに  とんでもなくありがたいことなんです。

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第5章 生まれるということ

計画書を提出して、「再度生まれること」を、認可された魂は、魂の待機所のようなところに集められます。  そこには、大きなスクリーンのようなものがあって、地上の様子を見ることが出来ます。 

ある時 ある魂に、神様(産土神:うぶすなかみ:その土地ごとの土着の神)が、スクリーンに映し出された女性を見ながら言われました。

「この女性に、近々赤ちゃんが生まれるが、この夫婦の環境だと、君の計画に合う人生を送れそうです  どうしますか」  と・・・・

魂は、「やったー!!!!」と言いたいところをガマンして、「ぜひお願いします」と言いました。

魂は、長い時間、待ちに待っていた順番(チャンス)が巡ってきたことに大喜びして、スクリーンを食い入るように見詰めます・・・・・

「この人が、お母さんになる人か・・・  やさしそうな人だ・・・」

「お父さんは、この人か・・・ 」

お母さんは、まだお腹に赤ちゃんが出来ていることに気付いていないようです。

「お母さん、転ばないでよ」 魂は、心配です。

魂が定着できる大きさに育つまで、魂は、色々なことを上空から見ています。

胎児は、魂が定着できる大きさまで無事育ちました。

神様は、にっこり微笑んで、「さあ 行ってきなさい」と、神様の火種(ひだね:神様の分霊)を心に宿してくださいました。

人は、生きている限り、どんな人でも、神様の分御霊(わけみたま:つまり神様)を心に預かっています。(人種や性別、宗教や、信心・無信心は関係ありません)

魂は、待機所から伸びた滑り台のようなラインを使って、お母さんとなる身体にするりと入っていきました。

世間では、子供は親を選べないと言いますが、そうではないようです・・・・ たとえ、あまりよろしくない親だとしても、それはそれで、納得ずくで生まれてくるんです。

滑り台と表現していた、ラインは、霊線(れいせん)と言って、家系ごとに、ご先祖様~神様と繋がっています。

ご先祖様(両親)が存在しない人は、一人もいません  妖怪人間のように、試験管やフラスコから発生した人は一人もいないからです

(死んだ後は、逆に、この霊線を使って、あの世に還ります。 その時は、ご先祖様が迎えに来てくれています)

今生きている あなたは  肉体という実体のある、家系の最先端であり 代表者でもあります。 (兄弟がいたとしても、生きていれば、それぞれが家系の代表者です)

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第6章 自分を守ってくれている存在

今度は、器(うつわ)である、肉体の方のお話をしておきましょう・・・

この夫婦に名前が無いと、説明しにくいので、この夫婦の姓を、仮名:山田さんとします。

それで、この夫婦が、あなたの両親だったとします。

この山田という姓、古くは屋号や、名前だけになるのですが、ご先祖様が誰一人欠けることが無かったから、あなたは、山田氏(うじ)という家系から、今の肉体を借りることが出来たんです。

あなたには両親がいますが、その両親にも親はいます。 そのまた親にも両親が・・・・というように、ご先祖様が連なっていき、先の先には、なんと神様の世界(領域)にまでたどり着きます・・・

でも ご先祖様や、縁ある方の中には、残念ながら、苦しんでいたり、悩みの中にいたり、恨みを抱いていたり、執着を手放せずにいる霊体の状態にいる方(つまり成仏されていないということ)や、地獄などで苦しまれている魂や、何千年も自らを罰している魂や、生まれることの出来なかった水子さんなどがおられるわけです・・・・・

そういう霊体や、不安定な心境の魂が多ければ多いほど、今生きている子孫である、あなたにも、何らかの影響を及ぼしていく可能性があります・・・・・

うちは、ちゃんとお寺さんに毎月供養してもらっているからとか、お経を毎日あげているから大丈夫って言われるかもしれませんが、そうではないんです。

亡くなった方のことは、お坊さんや神職・神父がやるものと思っているのでしょうが、残念ながら他人では、苦しまれているご先祖様に、伝わることはありません・・・・・

(家庭ごとの、各宗派などの通常の法事を否定しているわけではありません)  

なぜ伝わらないかですって??    はい 他人では 霊線が違うからなんです・・・・・・

では  どうすればいいか ですが  

家系の最先端である、生きている私たち子孫が、感謝の念(感謝の思いやり)を送ってあげること、見えない存在であるご先祖さまのための思いやりの行動をすることです。

思いを伝える場合、どんな言葉でもかまいませんが、お経や祝詞、聖書の一説などは避けて、普段使う言葉で感謝の心(あなたなりの気持ち)を伝えてください。

その際は、おじいちゃん、ひいおばあちゃんとか、お名前など、対象を限定されず、平たく、「ご先祖様」そして「ご縁ある諸霊の皆様」などという、ひとくくりにしてください。

水が上から下に自然と流れていくように、必要なところに、感謝の思いが届きます  限定されると、そこにしか流れません。

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目の前まで来ているものに手が届かないほど悔しいことはありません 見えない世界のことは、見えない世界の摂理に任せましょう。

ご先祖様の中には、成仏されておられない、水子(みずこ)さんも、たくさんおられます。

生きたくても生きられなかった  生まれることが出来なかった・・・・・・

お乳を吸うことすらできなかった・・・  食べたくても食べれなかった・・・・・  

このような霊体は、生きている私たちがうらやましくて仕方がないのです。

名前すら付くことがなかった霊体  生まれてすぐに亡くなった霊体・・・

この世に未練がありすぎて、成仏できない・・・・  こんなことは、何処の家系でも普通にあることです。 昭和あたりになって、ようやく、子供のうちに死ぬことが少なくなりましたが、江戸時代やそれ以前は、それが普通でした。

だから、今回の相談記事にあったように 冗談でも「死にたい」なんて、絶対に言っちゃダメなんです・・・・・・・・・

そんなことを平気で言っていたら、運気が落ちて当然のことです・・・・・

心にお預かりしている 神様がやせ細り、自分自身の細胞も、自殺を選び(ガンなど)、ご先祖様も応援することが出来ません・・・・・

成仏できない霊体が、家系の霊線にたくさんおられますと、詰まりが生じて、安定したご先祖様の加護も受けられないんです・・・・・

そういう家系の方には、精神的な病気などや、様々な臓器、器官の機能不全や不調

お子さんの、精神的発達など、さまざまな影響を及ぼす可能性が多いと思います。

でも、ご先祖様だって、子孫であるあなたを苦しめたいとは思っていません。

ですが、霊的世界にいる以上、頼れる(救える)のは、この世に生きている子孫である「あなたしかいない」からです・・・・・・・

イタズラや、悪いことのサインを送ったりして、気付いてくれるようにしているかもしれません。

そういう霊体も多数おられるんだと、意識して、感謝の気持ちを送ってあげると、応援してくれるようになります。

それでも、どんなにおかしなことが起ころうが、間違っても霊能者などに頼ってはいけません

「見えない世界を売り物にして、対価を得る」このことは、霊的世界においては、重罪です。  無料であってもダメです   近寄ってはいけない人間です。

逆に霊的垢にまみれます  

お金を払って、肥溜め(こえだめ)に浸かって喜んでいるのと同じです。 ┐(´д`)┌

二人兄弟で、兄が先祖供養してくれているから、自分は何もしなくても大丈夫と言われる方もおられるかもしれません。

確かに、兄弟ですと同じ家系の霊線です。  兄が先に先祖供養をしていたのなら、その分、家系の霊線に迷う霊は、数学的には少なくなっていきますが、兄も弟もそれぞれ別の宇宙を持っていて、兄の中のAという霊は成仏していても、弟の中のAという霊は成仏していない状態にあります。 1+1=2にならないのが あの世という世界です

「誰かが代表してやればよい」というわけにはいきません・・・・・・・

また  安定したご先祖様と言いましたが、安心境地(つまり感謝の気持ち)で亡くなられたご先祖様が、家系  今回の例では山田家の霊線、肉体をお借りしたお礼として、子孫を守ってくれているのです。

これが、守護霊さまです・・・・・・

正神は、人間に手を貸すことはできませんが、守護霊さまは、先祖とは言え、親の立場になりますから、そっと蔭からサポートすることを許されています。

神社仏閣でお願い事をして、その願いを叶えてくれるとしたら、それは神様ではなくて、守護霊さまであるご先祖様ということになります。

守護霊さまは、ほとんど感謝されることも無いのに、子孫の縁を結んだり、生まれる前の約束(自分が出した課題)を果たせるように、場面をせっせと設定してくれています。

子孫が間違いを犯そうとした時も、必死で止めてくれています。

なのに、努力もせず、効き目のありそうな神社仏閣を探して、イキナリ 「神様 、○○お願いします」では、守護霊さまをはじめ、ご先祖様たちはガッカリ・・・ 疲弊するばかりです・・・

先祖なんて知らんし、お世話なんて絶対イヤやけど、貰えるモンは欲しい  早よクレっ!!

困っている、自分に関係する存在を、助けもしないで、身勝手なおねだり(祈願)をしていては運気など上がりません、改善もしません。

あなたの善い行いという磁気日々の感謝の量が増えていけば、家系の霊線上におられる、苦しみ迷う霊も、次第に成仏されていきます。

そのうち、ご先祖様や、縁ある諸霊の方々のために行っていたことが、いつの間にか、自分に帰ってきていることに気が付くかもしれません・・・・・

それは、同じ霊線上に、自分もいるからです   そう  他者のためにやっていたことが、実は自分のためだったということです。  

まあ 死んだらわかります ( ̄+ ̄)

特に、独身とかで、自分の死後、だれもお世話をする人がいないような方は、生きているうちに、自分のためにも、たっぷりと善徳貯金をしておくことです。

この世のお金が、大事じゃないとは言いませんが、あの世で、善徳貯金が無いことは、この世の何倍も何百倍も、悲惨で恥ずかしく、辛いことになります・・・・・・・・・・

あなたは、毎日何気なく暮らしているのかもしれませんが、毎日 「因果」 を創っている最中です。  未来は何一つ決まっていません。  一日一日の積み重ね  あなた自身が創っていくものです。

よい因果・・・・・  日ごろの感謝と善徳貯金をすることです。

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第7章 自分の身体

自分の身体だから、文句は無いだろうと思われていた方もおられるかも知れません

でも  ここまでの話しで、自分の身体でさえ、借りているんだということがナントナクでも感じて頂けたでしょうか・・・

まだ、あまりピンと来ない方もおられるかもしれませんので、ちょっと違った見方をしてみたいと思います。

夏まつりも終わりましたが、お神輿(おみこし)を思い出してください。

飾りつけがされていないお神輿を、裸神輿(はだかみこし)と呼んでいますが、これには神様の神気を遷す、神遷し(かみうつし)がさてていない状態です。

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飾りつけがされているお神輿は、すでに神遷しがされて、神様が移乗されている状態です。

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それを人間に当てはめると・・・・・

まだ発育中の未熟な胎児の時が、裸神輿で、生まれる直前の赤ちゃんが、飾り付けられた、お神輿の状態となり、神様の神気が遷った、つまり神様をお預かりした私たちの姿ということになります。

人間は、生きていれば誰でも  もう既に神様と一緒 二人三脚なんです

赤子の頃は、無垢で、自我がほとんどありませんが、成長するにつれ、自我が芽生え、大人になるほど、「自分さえ良ければヨシ」 という感覚になります。

この自我(エゴ:われよし)が積み被さっていけばいくほど、心の神様を、岩戸に閉じ込めていきます・・・・・・

そうなると、悪いことでも、気にならなくなっていきます・・・・・・

あの世では、あれ程「今生こそはやり直す」と誓ってきたのに、今では逆恨みしている方も実は多いんです・・

自分の身体を大切にしない人は、無意識で、「復讐している」とも言えます・・・・・ヾ(.;.;゚Д゚)ノ

暴飲暴食、過度の飲酒、喫煙、薬物、自傷行為、自殺、暴走行為、危険行為など、自分の身体を危険にさらす行為・行動は、いくらでもあります。

もう一度言いますが、身体は借り物です  お借りできたことに感謝して、大事にキレイに大切に最後まで使わせていただいて、お返ししましょう。

その時が、お預かりしていた神様とお別れの時です。

生まれた時に預かっていた神様が、年をとっても、そのまま同じ神様という訳ではありません。

その人の、人なり・行動・善徳貯金の量によって、同質の神様に変わっていきます。

人によっては、どんどんグレードダウンしている場合もあれば、どんどん輝きを増していく人もいます。

赤子神(あかごかみ)を、翁神(おきなかみ)に 共に育て お返しするということも、生まれてくる目的の一つです。

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第8章 善徳を積むということ

善い行いといっても、 「何をすればいいかわからへん」 と言われる方もおられるかもしれません・・・

大それた事を、イキナリはじめからしようとしてもムリですし、続きません・・・・・

家で考えていても、ダメです  たとえ他人のために、祈っていたり、お経を上げていたとしても、善徳は積めません・・・・

自分の生活の中で、少しずつ視線を広げていけば、必ず見つかります。

自分の与えられた生活の中(舞台:ステージ)でということが重要です。 (人里離れた環境で、何千年山篭りしていても、ダメなんです)  

まず 懸命に生きること それは、自分も他人(自然や生き物、見えない存在)も大切にするということ

そして 見返りを求めない行動が大事です。

でも・・ それって、偽善じゃん  と言う人も、そう思う方もおられるかもしれませんが、それでも続けることです。  

キッカケは、モテタイとか、いいカッコしたかった  でも構いません。

続けていれば、そんなことは、どうでもよくなってきます。

そして   いずれ本物になっていきます。

先祖供養にしても、普段の言葉で「感謝の供養」を続けられているのならば、それは、ご先祖様に通じているという証拠です。

先祖を供養するという行為も、大きな善徳となります。

失敗しても、不恰好でも構いません  誰も認めてくれなくても、褒めてくれなくても

あなたの、心の神様、守護霊さま、ご先祖様はちゃんと知っています。

正直(真面目)に生きることは、カッコイイことです。

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第9章 自殺をすればどうなるか

今が辛くて、いっそ死んだ方が楽かもと思われている方も、以前そうだった方もおられるかも知れません

自殺したらどうなるかを、お話しておきたいと思います。

自殺した人が亡くなると、肉体から魂が離れ、正気に戻ります・・・・・

ほんの少し前は、自分と認識していた身体(肉体)が横たわり、ちょうど斜め上の上空から俯瞰(ふかん)しています・・・・・

最初は呆然としていますが、過去の記憶が走馬灯のように流れ、自我が崩壊していくにつれ、ことの重大さに気が付きます。

残された家族や、友人知人、楽しかった思い出、まだ小さかった頃のこと、母親のぬくもり・・・

そして 自分の中にお預かりしていた、神様を殺してしまったこと・・・・・・・

そして 生まれる前の約束も、思い出します・・・・・・・

何という浅はかなことを、してしまったのだろう・・・・・

戻れるものならば、時間を戻してください  夢ならば覚めてくれっ!!

いくら叫んでも  もう  どうすることも出来ません

そして、自分を裁く時がイヤでも来ます

自殺した魂は、一部が欠けています。

これは、人間の心の中心にある、神仏がおられた場所が壊れたからだと思います。

そして、魂自体が縛られ、鉛のように重く、自由度が無い、動けない状態となります。

その後  その魂は、霊的階層をどんどん下に沈んでいき・・・・・・・・・・・・・・・・・

時間の無い孤独な世界で、苦痛と苦悩と反省をすることになります

身体の無いあの世の世界では、この世の何百倍・何万倍と辛いことです・・・・・

「楽になりたい」「逃げたい」「終わらせたい」と思った、発作的な結果とはいえ

楽になるどころか、自殺の原因になった事柄の、何万倍の時間を、苦悩することになります・・・・・・・・

どんなに辛くても、生き切ることだったんだ  何と愚かなことをしてしまったのか・・・・

死んでお詫びをするとなど・・ 間違いだった 生きて償うべきだった・・・・・・

とんでもないことをしてしまった・・・・・・・・・・・・・・

神様お許しください・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

など     どれだけ後悔しても、後の祭りです・・・・・・・・・・・・

再度転生する可能性はありますが、まずは、魂(自分自身)が許す(納得する)かどうかです。

自分を裁き、反省し、許すことができたとしても、恐ろしく長い階段(霊的階層)を昇らなくてはならず、自殺した魂が、再び転生することは難しいようです・・・

自殺して、この世から逃げても、あの世では逃げ切ることは絶対に出来ません。

どんなに辛くても、惨めだと思ったとしても、自分がお預かりした神仏を守り、最後の最後まで、生き抜くことが大切なことです

私たちは、昇華できなかった課題を、何度も生まれ変わり、クリアしようとしています。

課題は生まれる前に、自分自身で計画して、努力すれば乗り越えられる、ギリギリに設定されています。(欲張って、困難な設定にしていることすらあります)

いざ生まれ変わると、そのことをキレイに忘れ、「自分だけがどうして」「自分は運が悪い」と、自分の外に問題があると勘違いしがちです・・・

誘惑に負けたり、道を踏み外したり、暴力などに耐えかねて

「もう死んでお詫びするしかない」 「もう死ぬしかない」 「もういいや」 と 発作的に自殺してしまうのかもしれません。

ですが、自殺さえしなければ、何とかなります。  

この世には、時間という、あの世にはないものが存在しているからです。

頑張って、頑張って、努力したけれど、我慢に我慢を重ねたけれど、もう心が折れそうだと言うのなら

仕事に殺されるようなら、辞めればいいです  学校に行って自殺するくらいなら、行かなくていいです。

ネコ三昧は、そう思います。

与えられた人生の意味を学び、苦しくても、明るく、正しく、努力して生き抜くことが出来たのならば、それだけでも、あの世では、成功者です

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第10章 まとめ

今回は、新聞の相談記事から、命とは、生きる意味ということについて考えてみました。

かなり重い内容でしたので、どうかなと思いましたが、たまにはいいっかと・・・・

神社仏閣で、長い時間お願い(祈願)している人をよく見かけます。

お願いすることが悪いことだとは言いませんが、もしその願い一つが叶ったのなら、終わりでしょうか

いえそんなことはないでしょう

一つ問題が解決(叶った)としても、次の問題が出てきます  そしてまた お願い・・・・・

それでは、いつまでたっても、キリがなく、幸福感も得られません・・・・・

松下電器、現在のパナソニックを妻と弟の三人から創業された、松下幸之助さんも同じことを言われていました。

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感謝の心が人生を豊かにする

人間はどんなに力んでみたところで自分一人では生きられないのです。 周りのすべての人、すべてのもののおかげで生きているわけですが、それをありがたいことだと思える人と、あたり前だと考える人がいる。 あたり前だと思う人は、その瞬間から荒涼殺伐(こうりょうさつばつ)とした争いのなかに身を投じることになるでしょう。 やはり物事に対して感謝することは必要だと思います。 私は誰の世話にもなっていない、だから頭を下げる必要はない、といった考え方は滅びの道に通じると思います。

松下幸之助 人生をひらく言葉   PHP研究所 より

最後に、もう2つの詩をご紹介したいと思います。

病気           藤本一宇 (中学三年)

この病気は

僕に何を教えてくれたのか

今ならわかる気がする

病気になったばかりの頃は

なぜ  どうして

それしか考えられなかった

自分のしてきたことを

   ふりかえりもしないで

けどこの病気が気づかせてくれた

僕に夢もくれた

絶対僕には

病気が必要だった

ありがとう

病気

この病気になって四ヵ月

いつになったら

退院できるのかなあ

でも この病気は神様が

くれたものだ

僕がこの病気に

ならなかったら

きっと

悪い心の持ち主だったろう

ありがとう神様

僕を救ってくれて

電池が切れるまで 子供病院からのメッセージ すずらんの会編 より

藤本一宇さん

私は入院中、病気に苦しむ子供たちを必死で看病する両親、暖かく、手厚い看病をしてくれた先生や看護師の方々、そして院内学級の先生方に出会いました。 先生方は、いつも明るく笑顔で接してくれました。 そのような幸せな環境の中で私は多くの夢をもらうことができました。 「小学校の先生になりたい」。 退院するころ、そう思うようになっていました。 いくつかの別れを経験しました。 「命」。 当時、毎日のように一緒に遊んでいた七人の友だちとの別れ。 会いたいと思っても、笑顔が見たいと思っても・・・・・・、もう、彼らに会うことはできないけれど、何もしてあげられないけれど、七人分、一生懸命生きようと誓いました。 それが今の自分の目標です。 平成十四年、私は小学校の先生になるための勉強をしています。 自分が何をしているか分からないときもあります。 でも、こども病院での出会いと別れを忘れずに生きていこうと思います。 病気を経験して、生かされて、生きるという言葉、本当にその通りだと思いました。

子供たちと共に より

藤本一宇(いちう)さんは、初め物が二重に見え、その後、動けなくなり、脳腫瘍と診断され

10時間以上に及ぶ摘出手術を乗り越え、院内学級に入られました。

当時最年長だった一宇さんは、手が足らなかった先生のかわりに、小学四年生の男の子に必死で算数を教え、「わかる」と笑顔で答えてくれたことが、涙が出るほどうれしかったそうです。

その体験から、小学校の先生になると決意されたのだと思います。

退院後、短大で小学校と、幼稚園教諭の免許を取得、さらに上を目指して、四年制大学に編入されたそうです。

現在は、どこかの小学校で、頑張っておられることでしょう。

1508110055

まとめ  でしたが  まとまりませんでした   が・・・

もう どうこう言う必要はなさそうですね・・・

て・・ ことで・・・・・  

このへんにしたいと思います。

一日一日を大切に 感謝して 生き切りましょう

文中の画像 水汲みと、シャンパンの2つはネット上からお借りしました

おしまい

    

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神社仏閣に参拝するにあたり」カテゴリの記事

コメント

今回のお話し興味深く拝見いたしました。

気になったことですが、新聞の記事にしてもブログの内容の中にも、小学2年の男の子の話しを聞くという事が書かれていなかったことです。
まず、本人の言葉・気持ち・想いを聞いて欲しいと思ったのです。
本人の心の内や魂の叫びがあるはずなんです。

『命の大切さ』を説く前に、話しを聞いてあげ寄り添ってあげること、それは『何故そんなことを言うの?』と質問したりしてはいけないし追及もしてはいけないんです。
責めては萎縮してしまいます。まだ自分の気持ちを上手く言葉に表現できないかもしれません。
表現可能な言葉からヒントをあげて誘導することは問題ないかもしれません。
喜怒哀楽の言葉なら理解できるかもしれません。本人の感情でもいいから聞いてください。

絡まってしまった糸を解いていくように根気よく向き合うことで、本人も心が楽になっていきます。
優しさとはそういう姿勢でも表せますよね。

不安になっていたり不満を感じているかもしれませんから、少しずつでも安心できる状況を作ってあげることです。
子供のすることには一見理解できないこともあります。でも、受けて側次第で理解は可能だと私は思っています。

生きる楽しさは、子供が安心できる居場所があれば自然と自分で感じっとって行くものです。
お話しの中にあるように、魂の望む生き方があるなら尚更に自分で導き出すでしょう。

私達のような先に生きる者は、それを支えることに専念することです。
失敗することで学ぶこともあります、時には人に迷惑をかけ人を傷つけることもあるでしょう。
けれど、自分も傷つくこともあれば迷惑をかけられることもあります。
そういう経験は自分の宝です、幸も不幸も宝になります。

生きることで経験した全てが糧になるのなら、善行も悪行も糧になるでしょう。
これは私の個人的な考えで極端かもしれませんが。

善行や徳を積むことはもちろん素晴らしいことですし、推奨するところです。
でも、まあ因果応報があるなら、悪行で報いをうけるでしょう。それもまた学びなんじゃないでしょうか。

一人一人に学ぶ目的があるでしょうから、臨機応変にと思います。

私も、今回のお話しのことについて思考したことがあったので、コメントさせていただきました。
気を悪くされたら申し訳ありません。


かずかさん コメントありがとうございます (゚ー゚)

かずかさんがおっしゃるように、相手の気持ちや、どういう思い、理由があるのかを聞くことが大切ですね。
わからなくとも、理解しようとすること
それが大前提です・・・・・
  
それは、今回の新聞記事の男の子の場合も、お母さんは聞かれたのだと思います。(母親ですからね)
紙面の都合もあり、詳しいことは書かれてありませんが、お母さんは、三男の子だけ、うまくコミュニケーションが取れない、手がつけられないということですので、相談者も、「愛情の不足」という一つのアドバイスを言われたのでしょう。  

愛情の不足があるからというのもあながち間違いではないと思いますが、ブログ記事のテーマから逸れていきますので、その方向では話しを進めていません。
  
本人に理由を聞くのが大前提とは言え、場合によっては、理由を聞いてはいけない場合もあります・・・・  公式のようにいかず、ケースバイケースなので 

今回は、なぜ生まれてきたんだろう、生きる意味という大枠の解説を中心に、できるだけ具体的な方法論は避けています。

それはなぜかといいますと、今回のブログの記事のねらいは、皆さんにそれぞれ考えていただくことにあるからです。
100人いれば100人の考え方や、思いや、経験、条件・環境などさまざまですし、答えは無いと同時に、無数にあると思っていますから。

なので  今回のように、コメントを頂けた事は、失礼ながら、ある意味成功だと思っています。(スイマセン)

悪いことも、見方にもよりますので、何をもって悪行なのかということもありますが、人間は、過ちから気付くことも多いです。
悪行さえも自分には必要だったと気付ければよいのですが、ほとんどの人は、そこに浸かって抜け出せないのも事実です・・・・
本人は自業自得でよくても、傷つけられた側は、糧にはなっても、少なくとも宝とは思えないのが本音でしょうから、良心に反する生き方は、良い縁を生むとは言えないんです。
宝だと思える方は、残念ながら、少数派で、ほとんどの方は、何故自分なんだ、どうして自分だけと言われます・・・・

かずかさんが宝になると言われるのならば、大変すばらしいことです。
逃げるわけではないんですが、私が危険ドラックの車にはねられて、寝たきりになったとしたら、宝と思えるか・・・・・  そうなってみないとわかりませんが、自信はありません
あ・・  これって  例えが極端でしたね 

すいません 反論しているわけではなくて、各人、それぞれ段階や考え方が違いますので、この部分は納得できるが、ここは違う  ここはわからない で・・ それでいいと思ってるんです。 そもそも記事の内容が100%正しくない場合だってありますからね・・・

何分、文書力が乏しいので、伝わりにくくて申し訳ありません。 

ですが  この記事で、少し考えたと言われるのならば  幸いです

ありがとうございます   


 

お返事ありがとうございます。

気分を害していないか心配していました。
文章だけでは分かりませんので。今回コメントするかも悩みましたが、ブログの内容の意図にはもちろん気づいていましたが(考えてもらうという意味で)、結果となる答えだけだと受け入れがたい心境があるかなと思いました。
悩んでいる最中だと正論は響かないかなと。ですから、出過ぎたかなと思いながらコメントしました。

私自身も色々あり、ブログ内に書かれている事に行きつき、更にその先に考えを進めています。
糧や宝だと思ったのも随分前になります。

今後起こる苦労に対して、私はちゃんと悩み考えようと思っています。
それは、新たな経験ですから、以前に気づいたし分かっているから悩まないというのは違うと思うからです。
何度でも気づいて何度でも理解すれば良いと思います。
ですから、理不尽に車にはねられ寝たきりになったら、感情のままに素直にいればいいと思います。
無理してまで宝と思うのは違うと思います。

ブログ内にあることは、私は答えだと思っています。もちろん全てとは言いません。
取り敢えず、考えていくと行きつく場所です。
この答えの先は横に置いておいて、ここまで来るにあたり経過が重要になると思います。
一足飛びに答えに来たところで、何かの受け売りや鵜呑みや丸暗記では張りぼてと変わらないですから。

結局、自分自身で一歩一歩踏みしめて行くしかないですから。
仮に今世で気づかぬとも良いと思っています。

それよりも、この世に生きていることを味わって欲しいと思います。
善行や徳を積む前に自分という者を実感して欲しい。
余裕があるなら人助けや自然に優しいことを少しして。

例え話ですが
ある僧侶が、人のためにとずっと悩み相談を聞いたり人のために善行を積んでいました。
人々からも尊敬され敬れていました。 修行も欠かさず行い、素晴らしい僧侶でした。
月日が経ち、僧侶が静かに死を迎えようとした時に、その僧侶は自分が生きてきたことを振り返り、何のために生きてきたのかと疑問を持ちました。
人に尽くして尽くして、いったい自分は何だったのかと。
僧侶は苦しみ悩み辛いまま死にました。

さて、この僧侶は修行が足りなかったのか?もっと徳を積むべきだったのでしょうか?

今の京都の夜遊びをしているお坊さんには無い苦しみかもしれませんね。

でも、良かったです、害されていなくて。
久々にこういう文章を書けたので、私は嬉しいです。


すみません。
追記させてください。

ブログの内容を正論としたのは、悩んだり苦しんでいる人にとっては、正論や綺麗事に聞こえるだろうなと思ったからです。
ゲームでも『いのちだいじに』ってフレーズがあるぐらいですので、言われなくても分かっているんだよ、と思われる範囲かなと。

あと、霊的や宗教的な表現になっていることは表現方法(神仏や霊的なことは否定しません)だと思うので、答えか答えじゃないかの判断は個人的なものとして、命や生き方については概ね答えと思っています。

良心に反する生き方をしていなくても、悪縁や不運や不幸は起こります。
これは、経験した人にしか分からないと思います。
前世や因縁だと片付けられがちですが、当人にとっては非常に辛いことです。
それこそ、良心に反する生き方をしたくなる要因の一つになります。
連鎖させずに断ち切ること、これは良心に沿った生き方をするより難易度は高めだと思います。

人それぞれ違いがあるのは当然として、産まれて死ぬということは同じですから普遍的な意味で当てはまる事はあると思います。

今回の記事は、真に必要とする方のための置石なので、必要としない方にとっては、ただのイイ話し、綺麗事に感じられると思います。  

ほとんどの方は、スルーしていくだけの話しなので、何の問題もありません

良いことも、悪いことも、先祖供養をしようが、善行をしようが生きていれば、必ず起こります。
自分にとって嫌なことを止めるための手段でも、魔法でもありません。

悪縁も前世のこともクリアしているからこそ、この世に生まれてきています。
ですが そのせいにしているのは誰でしょう?  そう他人から言われて、辛いと思っているのは誰でしょう?
未来は未定、決まったことは一つもありません

なぜそれが起こるのか 何のためなのか それが心からわかれば、涙があふれ、魂が震えるような感覚になると思います。
理屈ではないので、言葉では説明できませんが  頭で考えている(悩む)間は、難しいと思います。

お返事ありがとうございます。
人様のブログに長々とコメントをしてしまいましたが、色々とお気持ちを聞けて良かったです。
頭で悩み考えているだけでも逃げるよりはマシかと思います。まあ、逃げても追ってきますけど。
分かることがあれば宝と思えることもあると思いますから。

ここでは小難しい話しになりましたが、私個人としては、難しいことを難しく話すのではなく、難しい話しを出来るだけ分かり易いような表現で話せれば良いなと考えています。
どちらにしろ一般向けではないとは思いますが。

それでは失礼しました。

ネコ三昧さま

突然の悲劇に見舞われて茫然自失していた数か月前、幸いにもネコ三昧さまブログに出合い、救われた者です。

「神社仏閣に参拝するにあたり」シリーズは、私にとって“人生の教科書”“生命の教科書”です。折に触れ、何度も何度も繰り返し読ませてもらってます。

お盆の時期に記事をアップしていただき、ご先祖様への思いを新たにすることができました。
また、かずかさまとのコメント対話も、とても勉強になりました。

いつの日か平野郷に実際に伺って、杭全神社はじめ様々な名所を散策してみたいと思います。今後も記事の更新を楽しみにいたしております。

猫侍さん コメントありがとうございます (*゚▽゚)ノ
そう おっしゃっていただけたら、うれしい限りです
「神社仏閣に参拝するにあたり」というシリーズは、何か「気付き」のヒントになればと、はじめた企画でしたが、読み手の方の、(霊的学びの)段階により、わかりにくかったり、誤解されたりすることも、ある程度承知していました。

ただ  読み手の方の、学びを妨害しないように、気をつけているつもりですが、どうしても説明しないと、落としどころ(各人それぞれが考えていただくところ)に進まないこともあって、苦労しています。
とは言え、こちらが誘導しているわけではありませんので、自由に感じていただければ、それでよいことなのですが・・・

何らかのお役に立てているのならば、ありがたいことです。

私も、昔は、なぜこんなことに、どうして自分だけという思いがありました・・・・
その頃は、自分の外のせいにしていたり、自分を責めたり・・・・  頭がショートするくらい、悩んだり、考えたりしました・・・・  

変に時間がある(考えている)から、もう済んだこと(過去)や、まだ訪れてもいない未来のことに、頭を悩ませていて・・ 
漏電しているだけで、現在(今)を懸命に生きていなかったんですね。
(その時にでもやれることをやっていなかった、やりつくしていなかった)
だから、自分の良心は、許してくれなかったのでしょう・・・。

自我(エゴ:ワレヨシの心)は、この迷路に誘い込みます・・・ 自分を否定する罪悪感や自分や、他に対する怒り・怨みなどを利用します・・・・
何かをやっている・考えている(前に進んでいる)というゴマカシと、○○しているから出来なかったとうイイワケという餌を与え・・・・
それに気が付いたら、今度は自己嫌悪・・・・  こういう状態では、どれだけ考えていても、ロクなことは浮かびません。

そのループから抜け出せたのは、「認める」「許す」「感謝する」ということでした。
自分の今の状態を、全て認め、今の私が生きていられるのは、過去のあなた(私)が生きていてくれたからだと感謝して、過去の辛かった自分を抱きしめ、「気付いてあげられなくてごめんね もう大丈夫だよ ありがとう」と・・・・・
ありのままの(情けない状態だった)自分を認め、痛めつけたことを謝罪し、「今 生きているということ」に感謝しました。
(自殺しようと思ったことはありませんが・・)

エゴはガラガラと、崩壊していきます・・・・
と言うのは、大げさで、本当はラッキョウの皮がツルっと1枚剥けただけのようです・・・・・  え??
悟り(さとり)とは、お預かりしている神様との差を、取る、差取りなんだそうです。
ほとんどの方は、修行して悟りを開く、悟りを得ると、何か特別な、スーパーサイヤ人にでもなると思われているようですが、気付きの皮(自我の皮)を1枚1枚取り去る、アタリマエではないと気付くことこそが悟りの本質のようです。
(自我の皮はまだまだあります・・・・・)  

明るく悩むのは、悪くないことですが、悩んでいる時間、考えている時間は、“サッと”で、「さぁ次行ってみよぉ~」(いかりやさん風)が正しいと思います。 恨みや、怒りをもち続けていても、ロクなことはありません。

先のコメントで、辛いと思っているのは誰でしょう?と言うのは、「自我」です。
他人と比較しているのも、「自我」です。
魂は傷ついてはいません、自我が辛いと感じているにすぎません。
自我は、死んだ後に、完全に消滅します。
怒りや、恨みをという自我を、死んだ後でも捨てずにいると、あの世には行けません・・・・
そういう未浄化霊は、そのうち鉛のように重くなり、念(思い)の場所に固定されます。
それが、一般的に言う、自縛霊です・・・・・・


ですが 辛いモンは辛いに変わりありませんから、無理やり感謝しろという話ではありません。
私は、辛いことや、悲しいことでさえ、自分のためだとわかった後は、「うわ そう来たかぁ」と思えるようになりましたし、それでもありがたいことだと感謝し、「仕方がない」と明るく捨てることが出来るようになりました。

話しが、逸れてまとまりなくなってきましたが、辛いことも、悲しいことも、決してムダではありません。
ムダだと思ったら、本当に無駄になってしまう。  それが真相です。

今のあなたにも、未来のあなた自身が応援してくれているかもしれませんよ

って・・・・  あれ??  コメント欄が、皆さん向けの記事みたいになってきました・・・

すいません  調子に乗りました・・・・

猫侍さん ありがとうございます


ネコ三昧さま 

思いがけず長文&濃密なコメントを頂戴し、しごく恐縮&感激しております。
゚+。*・感。゚(゚ノД`゚)゚。動・*。+゚  *。+.゚感激ッ(ノω・、)゚.+。*

また新たな気付きをいただきました。本当にありがとうございます。

いい年して未熟者ゆえ、厳しい現実に直面して“受けきる”姿勢に徹しきれないこともありますが(=_=;)
何事もアタリマエと思わず、いま生きていられることに感謝して、日々前を向いて過ごしていこう!と決意を新たにしました。

ネコ三昧さまのご健勝とご活躍をこころより願いつつ、一ファンとして、これからも貴ブログの更新を心待ちにいたします。

私に必要な教えを頂き、ありがとうございます。
人を導く役割を与えられ、神様に頼みたくなり、調べるうちにこのサイトに辿り着きました。おかげさまで、私の行動指針が定まりました。

これまでも似たような話は聞いたことはありました。
が、ネコ三昧さんのお話がわかり易く、自分の中で腑に落ちました。
また、お話が面白過ぎるので、何度読んでも飽きません。

恥ずかしながら世間知らずで、今まで、神様と仏様の違いも良くわからず(興味がなく)、お世話?をさせてもらったこともほとんどありませんでした。
よって、 専門用語(?)が難しく、調べながら読み進めていますが、いまだ謎だらけです。

自分でも調べてみますが、お手すきの時にでも、私の謎を解明して下さると、嬉しいです。よろしくお願いします。


1・これらの考えの根拠は何か
いくつか単語を調べるうちに、神道の考えをベースにお話をされているということを知りました。神道を元に、わかり易く話をされている、という解釈でよろしいでしょうか?
それとも、ほとんどまったくのオリジナルでしょうか?
もし差し支えなければ、ネコ三昧さんがこれらの考えを得た経緯も聞いてみたいです。自己紹介を探しましたが、見つけることが出来ておりません。

2・このブログに出会って、神社仏閣に参拝出来なくなりました。
日々の感謝はあるものの、悲しみや疲労感を奉納しそうで、怖くて、前を通っても避けてしまいます。私は何時になったら、行けるようになるのか、
初詣などに誘われたらどうしようと、ドキドキしています。
この先も行けるようになるのか、不安です。

3・神様と仏様は、家にお招き?する場合はどちらを先にするのがいいのか。
私は賃貸マンションに一人暮らしで、現在はどちらもありません。実家では、両親が仏壇のお世話を毎日しているはずです。

4・実家に神棚はありません。そうすると、家には、神様はいらっしゃらないのでしょうか?(各自の神様以外)
そもそも、ご先祖様が守って下さるなら、仏様を大事にすれば、神様はいらないのでしょうか(あれれ???)

5・神様のお世話は雑でもばちは当たらないのか?
何人かに聞いたところ、驚く回答が返ってきます。年に一度、という強者も(^_^;) 大丈夫なんですか?

6・私は宗教にはまってしまったのか?
急に親孝行など始めるので、多分心配されています(笑)。
神道は宗教ではない、とする考えもあるようですが。仮に宗教だったとしても、善い行いが出来るなら、差し支えないですが。

7・先祖供養の具体的方法について
感謝の気持ちは、心の中で言うのか、口に出すのか。線香と花でいいと書いてありますが、喘息持ちの人は、線香苦しいですが、どうしたらいいのか。

まだ一部ですが、とりあえず・・・。

長々と本当申し訳ありませんm(_ _)m

ありがとうございます さん コメントありがとうございます

人を導く役割を与えられたということは素晴らしい機会だと思います。  自分なりに精一杯チャレンジしてくださいね。  私も、昔 そういう機会を頂いたことがありましたが、「ちゃんとやらなければ」とか「こうでなければならない」という思い込みのために、結局カラ回りしたことがあり、今でもその頃のことを思い出すと、恥ずかしい限りです。  それもいい経験と勉強になりましたが・・・・・・・

さて、ご質問に対してですが、小分けしてお答えさせていただくことにしますね。

まず 1 これらの根拠は何か  神道をベースにしている言えると思います。  と言うのは、もともとこのシリーズが、神社にせっかく参拝に来てられるのに(参拝される方を見て)、逆のことしてる・・・とか、もったいないとか思っていたからで、それなら、何かお伝えできればと始まったシリーズだからです。 (とは言え仏教や他の宗教も詳しく知りませんが・・・・・)
日本という国は、元々自然崇拝(太陽信仰つまり天照大神)で、国旗に日の丸が示す通りです。
他がダメだということではありませんが、寿司屋(日本という国)で、中華や洋食を頼む(わざわざ外国の宗教)よりは、説明し良いだろうということも理由の一つです。(仏教はインドですが)

何が神道とか?というと人それぞれの答えがあるのでしょうが、私的には、神道とは教祖も教義も無い、大自然そのもの、生き方、いえ 生物も静物も含めて、生きるということ自体が神道だと思っています。
「神道系の宗教」というのもあるのでややこしいですが、それらの教えとかは、どんなものか知りません
  
お答えになっていないかもしれませんが・・

また 何か特別な能力があるとか、そんなモノはありません(笑)  ただ子供の頃は、今思うと不思議なことが多かったです。  夜寝ていると、霊体が身体を離れたり、動物と意思疎通できたり、誰かと相談したり・・・・・・・ でもそんなことは、誰でもみんなそんなもんだと思っていました・・・   子供の頃は、まだこの世に慣れていないために、霊体がズレる(離れる)ことや、視覚的には見れない霊的な存在が見えたりすることはあるようです。 動物も純粋なので、子供のうちは、波長が合いやすいと考えられます。 誰かと相談というのは、今思えば、ご先祖様(守護霊)のどなたかだったのでしょう・・  でも、答えは絶対に教えてはくれません・・・  本当にそれでいいのかな  とか  ○○ちゃん(相手)はどう思うかな・・  とか、自分で考えさせるようにします  そう、幼稚園の保母さんのように・・・  二股の分かれ道で、こっちだよと言う存在は、正しい存在ではありません・・・・  そう魔の存在です  そういう存在は、長々とそれらしく話してきますが、正しい存在は、スパッと一瞬で入ります。

大人になれば、大抵の人は、変わったことはなくなると思います  それでも変わったことが多いという方に多いのが、ご先祖の加護が少ないケースです・・・・ つまり ご先祖様が助けたくても助けられない状態だということです。 (以前のシリーズもご覧ください)

と言う私も、過去には、霊的なことに対して、あれは何だったのだろう? どうしてだろうという興味から、色々なセミナーや霊的な手技を見に、聞きに行きました・・・
でも、その場の高揚感は得られても、何か違う???  と違和感を感じていました・・・  
今思うと おバカなことでした・・・・・(お恥ずかしい) ( ̄◆ ̄;)
今は、皆さんに「すべての答えはすでに自分の中にあります」とお伝えしていますが、その時はまだ問題や答えが、自分の外にあると錯覚していたんです・・・・

結局得た答えは、他人のふんどしでは相撲は出来ないということでした・・・  他人のやり方や教え・答えではダメなんです  そこに早く気付かない限り、失敗のままです・・・  失敗は、気付きのための大事なプロセスですが、そこにいてはダメなんです。  かなりの時間とお金を浪費してしまいました・・(高い勉強代) しくしく

2 このブログに出会って神社仏閣に参拝できなくなった  自分の願いを叶えてもらうというような、我良しの心や、ふざけて参拝するようなことが無ければ、何の問題もありません。
感謝の言葉だけでかまいません  それが最高の奉納に成ります  初詣に誘われるのも縁ですから、気にせず行かれればいいと思います。 私は、正月の人がごった返している時はなるべく避けますが・・ お友だちは、そんなことはわからないでしょうからね  
悲しみや疲れを奉納するようでという気遣い・心配りはよいことなのです  むしろ、それでも感謝できることが立派な参拝と言えると思います。
伊勢神宮では、Tシャツ姿など服装に問題ある方の参拝は止められます  これはイジワルをしているわけではありません  それが参拝者本人のためだからです  衛士の方は、そこで神様への配慮、気遣いを見ているんです。 神様(眷属神)の見方と同じなんです。 

つづく 

続きです

3 神様と仏様をお招きするにはどちらが先かですが  神様も、仏様も同じ霊的存在と言えます・・・
(日本では、亡くなった方も、仏様と呼びますが、それは除きます)

見方の違いや、国や文化圏などの違いで、神様の呼び名も変わり、伝えられているお姿も変わってくるだけなんです。  日本風・中華風・仏教風・キリスト教風などなど (その地域土着の神仏もおられますが)でも本当のお姿は、神像や仏像のような人間風なお姿ではなくて、光(磁気)そのものなんですね・・・・
はじめ宇宙はたった一点から始まり、分化を繰り返してたくさんの神様(霊的存在)が生まれていきました、分化することによって、性質なども変化していくようです。  元々は1つだったのですが、分かれていくことで、呼び名(神名)も変わることも、そのままのこともあります。  神仏も分化することで、光の強さや、色や性質が変化するということです。 それで神名が変わったりするんです。
ただし  神様の名前も、仏様の名前も、人間側が付けた名称であって、本当の神名ではありません。
仏様を表す、真言(しんごん:マントラ)でも、実は本当の佛名ではないんですね・・・

地域によっては、一神教のところもありますが、その神様以外は、神様ではないという線引きがされているということです。  日本という国は、昔から八百万の神(やおよろずのかみ)という風に、無数の神様、精霊がいると言われていた国なので、外国からの神様も、仏教や、キリスト教など、他の宗教も受け入れると言う、外国から見れば、理解できない国と思います。

前置きが長くなりました  ご先祖のお世話が出来ないうちは、まだそちらを優先した方が良いでしょう。 実家にはお仏壇があるそうですが、お仏壇は基本的に、ご先祖様を御供養するためですね。 一人住まいでしたら、可能ならばお墓参りで、お花やお線香をお供えすることでしょうが、出来ないようでしたら、ご先祖様に対して感謝の心をお供えすることです。  これならば、世界中何処からでも出来ますし、時間も関係有りません。 お線香や、お茶などの他、蔭膳(かげぜん:亡くなった方のために、ご飯をお召し上がりくださいとお供えすること)もたまには良いかもしれません。(早朝から午前中にされるのがよろしいと思います)

ただ  我良しの気持ちでされるのなら、しないほうが良いです
見返りを求めず、何かして差し上げたいと思われるのなら、喜ばれるだろうなと思えることを、自分なりにされればよいと思います。

ご先祖様の供養が出来るようになれば、あなたお住まいの地域の、氏神様(産土神)を探されることです。
掃除がされてあり、清々しい感じがするお宮です  もしそれらしき神社が無ければ、地域の一宮(いちのみや) 何とか大社・神宮などと呼ばれているお宮に、感謝の参拝をされれば良いと思います。

そこまで出来るのでしたら、神棚を用意されて、神宮大麻(じんぐうたいま)氏神神社札・崇敬神社札をお祀りして、毎日水交換、榊が枯れる前に交換と、お世話されたらよろしいと思います。

つづく

続きです

4 神棚がないと、神様がおられないか?  ですが、神棚とは、神様をお祀りするところです。 ここに神社でお受けになられた、御神札(神宮大麻など)をお祀りします  御神札には御神気が結ばれており、神気が依られます。  神棚に御神札をお祀りすれば、その家に神様が常に居られるかというとそういうことではありません。  例えで言うのなら、神様(御神気)の巡回先が1つ増えたと言う感じでしょうか。

神気というのは、空気や磁気などの、「気」が付くものと同じように、目には見えない、気質、エネルギーのようなものです  大きな神社などの御本殿は、何もない空間だけです  でもそこに御神気が鎮まられるのです。  神棚が無くても、たびたび神社に参拝されている方(感謝の参拝)は、神縁が結ばれており、必ずしも神棚が必要だということではありません。 逆に、神棚をお祀りすれば、願いが叶うとか、いいことが起こるなどの気持ちで祀られるのならば、逆になることでしょう。

仏様と神様は、人間が区別しているだけで、霊的存在であることには変わりありません。  ですから、神様が一番で、仏様が二番というようなことはありません。  目に見えない、霊的存在の御蔭で、人間は生きていくことができるのです。  
ですが、多くの人は、アタリマエ、自分の力と勘違いして、生きていることさえも感謝できないんです。  そこさえわかって、感謝する生活が出来れば、よい回転が自然と出来てきます。

その人を守っているのは、その人の家系のご先祖様のどなたかで、その霊的存在を一般的には、守護霊様と呼びます。  単独の場合もありますが、ほとんどは複数で、守護霊団のような人もおられるようです。
その人の心の神様を中心に、守護霊の方が奔走されています。  神様は、手を貸すことは許されないのです。  じゃ神様なんて要らないじゃんと言われる方がおられるかも知れませんが、神様が離れる=その人の死ということになるんです。

灯台下暗しと言いますが、神様があまりに近すぎて、感じないんですね・・・・・・・
だから、神様を悲しませるようなことはしてはいけないんです。
神様におねだり(願い事:祈願)するばかりの人が増えれば、神様だって痩せて、疲弊してしまううんです。
感謝する人間が増えれば、神様は肥え、社会もよい回転になって行きます。
以前のシリーズでもお話したように、この世界はカガミの世界なので、神界の事柄が、人間界に、人間界の事柄が、神界に影響を与えるということです。

私たち一人ひとりが、この世だけでなく、神様の世界さえも変えていく力があるのです。

神社には、お願い事をする場所ではありません  私たちの心の神様と、外の神様が会う場所です。
御蔭様で、心の神様が、これだけ大きくなりましたと・・・・・

つづく


続きです

5 神様のお世話が雑でもバチは当たらないか? ですが  神棚を設置されて、御神札を納められましたら、基本的には、毎日水交換し、榊が枯れる前に交換していくというようなことが必要になります。
  
ですが、旅行などで出かける時などは出来ないこともあると思います。
それはそれで仕方がないことですので、そのことを事前に報告しておきましょう。
旅行から帰ったら、御礼と報告をして、お世話をされたら何の問題もありません。
その方の、心遣いの問題となります。

月に1~2度しかお世話しかできないけれど、他の誰かがやっているから、何かいいことがあるかも知れないから、自分の願いをかなえてもらいたいからなど・・・  そんな気持ちからでしたら、最初からやらないことです。  残念ですが、まだ、お世話をされるような段階ではないということになります。

日本では、お仏壇は、ご先祖様を、神棚は神様をお祀りしていることになります。
都会に働きに出て来ていて、田舎の神棚や仏壇のお世話はそう出来ません・・・ お墓参りもそうです。

それは、ある程度仕方がないことです・・・  
ですが、何処に居ても気持ちを向けることは出来ます。
ご先祖様や、神仏に感謝の気持ちを向けることは、供養にもなりますし、一番正しい方法です。
これならば、いつでも、どんな場所でもできるハズです。

そのことが常に出来ているのなら、年に一度であろうが、三年に一度だろうが、その方のペースであり、事情があることですから、他人と比較することはできません。

十年ぶりにお墓参りということもあるでしょう・・・・

自分で神様のお世話をしますと宣言して投げ出すことは、最初からやらないことよりも良くないことです。 (本当に継続できるのか良く考えましょう) 

また  御神札には、御神気  神線が結ばれていますので、不敬な扱いをしてはいけないのは当然のことになります。(ただの紙ではありません)
雑にということが、乱暴にとか、いい加減にという意味合いでしたら、バチが当たる的なことは起こりえます。

それに  正神がおられる神社ほど、不敬に対して、バチが当たるということは本当にあります。

ですが、何も怖いことではありません   敬意を持った行為であれば、余程のことが無い限り問題は無いと思います。  国や、民族、文化の違いからくる作法など、ほとんど問題ないのです。

ですが  敬意があれば、禁足の地に足を踏み入れても良いか?  どうでしょう?
そうですね  それは  バチの当たる行為と言えます。  たとえ気付かなかったとしても、そういうことが起こるでしょう・・・・  本人に気付かせるためにも・・・・

神棚や、仏壇の有無にかかわらず、まずは、ご先祖様への感謝と、今住まれている土地の神様(それが氏神)にご挨拶と、感謝が大事だと思います。

つづく
 

  

ネコ三昧様

あけましておめでとうございますm(_ _)m
昨年はネコ三昧さんのおかげで、私の生き方が大きく変わる学びを頂いた年でした。
『自分の中に既に神様がいること』『 本当に必要なものは、自分の中にしかないこと 』を教えて頂き、目が覚めました。

今年も関連記事のアップを期待しています。よろしくお願いします。

いくつかの記事で、『このシリーズは重い』と書かれていました。
身体を削って書いて下さっているのではないでしょうか?
どうか、ご無理のない範囲で、お願い出来れば、ありがたく思います。

このブログに出会ったのが、昨年の11月頃でした。
分からないことだらけで、ほぼ毎日お邪魔しながら、少しずつ調べるうちに神道に触れ、思い切りはまってしまいます。
仏教の教えやキリスト教の教えも素晴らしいと思いますが(深くは学んでいませんが)、信仰心が足りないせいか、心の穴を埋めるに至りませんでした。

今は、仰るよう、神道系の宗教やら元は神道・・・みたいな所の教えも、それぞれもっともらしいことを説いているので、安易に信じ切らないよう注意が必要と思っています。

ネコ三昧さんにレスを頂くまで、私は神様というのは、優しそうな仙人みたいな人、仏様は亡くなった人、という認識でした。
神様に仏様、それぞれ深すぎますね?(-∧-;)…

これからも人様のお役に立てるよう・・・というと聞こえがいいですが、
今回の私の役割も、 まさに与えられた。と認識しています。 それは何故か。私自身の成長のために、です。その場がお膳立されているようにも感じていました。(はっ(゚ロ゚)ご先祖様?((((;゚Д゚)))))
いびつに生きてきた私だからこそ、役に立てることがあります。

今年もどうぞよろしくお願い致します( ´ ▽ ` )ノ

ありがとうございますさん あけましておめでとうございます (遅くなりました)

まずは 続きから

6 私は宗教にハマったか? ですが  ハマっているのかと客観的に考えられるのでしたら、ハマって無いと思いますよ(笑)  親孝行するようになったとのことですが、それは、年齢・経験を重ね、立ち位置が親(大人)の側に近付いて、親の立場や気持ちが少なからず理解できるようになってきたのかも知れません。
目線が上がることで、より広いものの見方ができるようになってきたり、弱い立場の存在側からも見れるようになってきたからだと思います。

宗教とは何なのか?の問いに対して、答えは人の数だけあると思いますが、私は宗教は一つの「学問」でありツールだと思っています。  人間は未知のモノ、目に見えない世界を恐れますが、その中でも、「死」を一番に恐れるのです・・・・・・・・

人間も生物であり死を避けるという本能があるのですが、他の生き物とは違い、大脳が発達したために、死に対して、恐怖し、避けようという感情が大きいと感じます。
(どんな人間でも、生まれたら、必ず・・・  死ぬのに)

どうせ死ぬんなら、大暴れして・・・ 適当に生きて、ぐうたらと暮らせばいい・・・ 大金を手にして、遊ぶだけ遊んで・・・ 殺すだけ殺して・・・・ 盗めるだけ盗んで・・・・ なんて 自暴自棄な人が出てくることで、「そうじゃないんだよ」という教えが出てきた・・ これが宗教のもとになっていったのだと思います。

旧来からある、家ごとの宗派、檀家制度など否定はしませんが、それ以外の宗教??は疑問です。

心に在る、不安という、得体の知れないモノに対して、信じることで、修行することで、安心が得られるという?? モノ??です。
まだ不安なのは・病気が治らないのは、自分の修行が足りないからだと・・・  お布施が足らないからだと、信じ込まされていくんです・・・・・・  有名なアノ人も入信している・・・  国会議員のアノ人も、タレントのアノ人も信者です・・・・   ○○教こそが本物です・・・などなど 
 
心に空いた穴を塞ぐため、隙間を埋めるため、宗教と言うモノを入れることによって、満たされたと錯覚しているだけで、実は、大切な資産や、時間と労力というエネルギーを奪われていることに気付きません・・・・

自分の中に神様(仏様でも、精霊でも、ハイアーセルフでもかまいませんが)がいると信じる(気付く)ことが、本当(本来)の宗教なのだと思います。 (つまり自分も神様の一部だということ)
ですから、宗教と言う世界で修行しなくても、今居るそれぞれの世界(場所・舞台・役割)でそれぞれに道を究めれば、同じ所に到達することになります。  (登山道は無数にあり、宗教は登山道の1つにすぎません)

自分にも神様の分霊が宿られているとわかれば、自爆テロを起こすなんて出来ないんです・・・・・・
完全に神様を騙る魔物に洗脳されているからこそ出来ると言えます。 本末転倒状態です・・・

じゃ  なんでそんな厄介な、宗教モドキや、新興宗教が消えずにあるの?
神様が居るのなら、そんなの消滅するはずやんか・・・・  そう思いますよね

はい  その答えは   ゴキブリホイホイです
え???   意味がワカランですね 
最終的に、自分さえ信じられない人 (自信の無い人=自身の無い人=自神の無い人)は、神様目線では不要ということです・・・・・・・
○○教という名の幽界ごと、ゴミ箱にポイ  ハイ消去っ・・・・  です
そのために存在するんです  (神様レベルの時間はとにかく長いんで、すぐに消滅しませんが)

細胞でも同じです  DNAが傷つくと、修復しようとしますが、修復ができなければ、やがてその細胞は暴走し、ガン化してしまうかもしれません。
本来人間の身体では、ガン細胞が出来ても、その都度、免疫機能で排除されてしまいます。

自神を捨てた人=ガン化した細胞 ここまで言うと  ちょっと怖いです・・・

でも  最終的にと言いましたよね

人間は、おバカですから・・・  痛い目に遭わないとなかなか気付かないように出来ているようで、悪いところも経験するからこそ、良いところも、間違いにも気付けることもあるんですね・・・

宗教すべてがそうではありませんけど、あまりにも魔道宗教が多いんです。
そういうところに、よろこんで浸っている場合じゃありません

心当たりのある方は  早く卒業しましょう・・・・・・・ まだ間に合います
(人間の持ち時間は少ないです あと何回桜が咲くのを見れますか? あと何回お正月を迎えられますか?  このコメント欄を読まれてる方で、100回と答えられる方は一人もいないでしょ・・) 

自分の与えられた仕事(役割)をこれでもかと言うくらい一生懸命やりましょう、その中(先)に光があります ヒントすら見つからないのなら、まだやりつくしていない(自己満足や自己中心、努力不足、回数不足、発想不足、思いやり不足)からなんです・・・

このシリーズの記事は重いというのは、読まれるからには重い内容ですがという意味だったんですが、なかなかお気楽に書けない記事なのは確かです(笑)

つづく 

   


外なる神様や内なる神様に対しての接し方を間違えていました。
とても勉強になりました。ありがとうございます。

一つ質問させてください。
霊的垢を取っていくには、感謝と善行を行っていけば宜しいでしょうか?

さなえさん コメントありがとうございます ( ^ω^ )

霊的垢を取っていく方法ですが  まずは、さらなる因果を積まないように気をつけられることが大事ですね。

他人(霊的センセイ様)や、グッズ、ヒーリングとごまかす霊的行為・治療?、そういう集まりに、行かない・会わない・買わない・もらわない・受け取らない・相手にしない・・・・
相手(人や動物、空間や場所、物質)を傷つけたりしない
自分(自身・自信・自神)を捨てない・大切にする (身体に害になる行為、マイナス(怨み・毒・生霊)を吐かない)
怒りや・恨みを捨てる・持たない、飲み込まれない (許し)

過去の(過去生も含む)過ちも、罪も、その事実や現象をなかった事にできるわけではありませんが、善行(愛情ある思いやりの行為)はそのマイナス分を埋め合わせしていくことができます。(上書き)
ですから、普段から、善徳貯金をしていくことが大切なことです。

前世での行い(罪・因果)を清算するために生まれてきて、さらに因果を増やしていたらどうしようもありません・・・・・

先祖供養も、大きな善徳貯金になります。
今現在は生きている私たちには、ピンとこないかも知れませんが、この世とあの世での期間を比べたら、あの世に居る時間の方が相当長いんです。
すぐに私たちだって、すぐに? あの世の世界の住人になるわけです・・・・・・・ (忘れがちですが)
その時の活動資金というか、エネルギー源が、生前に貯めていた善徳貯金になります。

ご先祖様のためと思ってやっていたことが、死んだ後は、自分もご先祖様側に居ることに気が付くんです。 ほとんどの人は死んでから気が付きますが・・(蟻とキリギリスの童話)

自分は、独り身で、親戚も居ない・・・・  自分が死んだら誰も供養してくれない・・・・・
だからどうでもいい・・・・

実は、これは全くの逆で、自分のために、出来るだけ善徳貯金をしておくべきなんですね・・・
今の自分の立場(ステージ・環境)で出来ることをすれば良いことです
ムリはいけません・・・・・

最後に   怒りや、恨みのエネルギーはしつこく、強力ですが、愛情(良心つまり神様)には絶対に敵うことはありません

誰も見てはいませんが、さなえさんの中にいつも寄り添っている神様(良心)は、いつも見ています、感じています
良心に反する生き方は、絶対にうまくいきません  あの世でキッチリ帳尻が合います
心の中の神様(良心)を、悲しませてはいけないのです


お答えいただき、ありがとうございます。

もう一つ質問させてください。

神社のお守りや御札をお祀りしても、神様が居なくなって別のものに替わる事は、ありますでしょうか?

神社のお守りやお札をお祀りしても、神様が居なくなって別のものに替わる事はあるか?

神社で受けられるお守りやお札には、神気が結ばれていて、神様の分霊が常に居られるわけではありません
今風に言えば、フラグを立てるという感じでしょうか・・  神様の巡回ポイントというわけです。

お札も、お守りもただの紙ですが、丁寧に扱わなければいけません。
神棚に正しくお祀りできれば、神気が依られることになります。  

ですが、お世話が出来る、その覚悟がなければ本来はお祀りされないほうがいいのです。  以前の記事にも書かせていただいたとおり、犬を飼いたいけれど、毎日の散歩はイヤ・・・  ゴハン代も勿体無いから、気が向いた時だけあげる・・・・
これでは、飼う資格はありません   自分がやりたいだけ 自分のためなんです・・・ 

神様のお世話も同じで、毎日出来ないのでしたら、まだその時期ではないということになります。
(途中で挫折したとしても、バチが当たったりはしません)

毎日の掃除、お水交換、榊が枯れる前に交換  たんたんと作業を進めるだけです  何の見返りもない行為です。

前置きが長くなりました  神社のお守りやお札に、別の存在が依ることは本来はないと思います。

ただし  その神社の御祭神が○○の神だから、お札だって大丈夫というわけではありません・・・・
表面上の御祭神であって、本当は悪神であったり、荒ぶる存在であったりすることもあるからです。

また、神社と言っても、正神が鎮まるような神社から、新興宗教の神社までありますので注意が必要です。
営業神社では、やたらとグッズが多かったり、のぼりや、祈祷案内など営業道具がたくさん見受けられます。  そういうところのお守りや、グッズは、リピーターになるような念や仕掛けを入れてあったりで、逆に運気も落ちます・・・・・・
それに  神職だから、お坊さんだから・・・・ 大丈夫  ではありません
本人すら気付かず、魔の存在の手先として動かされている人だっていますから。。。。。。。

また、お札やお守りは、1年ほどで新しいものを受けなおされるのが良いでしょう。
時間がたてば、神気を結ぶ糸が細くなるとお考えください。
大きな神社では、社殿を数年ごとに造営し直していますよね。

  

ありがとうございます。

神棚にお参りした時に、神職の方と私とでは違うように感じていたのです。

もう一つ質問させてください。
魔の手先になった人は、魔から抜けることは可能でしょうか?

神職も昔は、その土地の禁足地を守る、守人だったのです  神様が鎮まる場所を、禁足地としてそこに注連縄を張って、区切っていました。  現在でも、身を清め、正しく神様との取次ぎをされている神職さんもおられますが、職業(営業)神職さんも多いのです・・・・・  ですから、そういう方には注意が必要ということです・・・

魔の手先になった人が、魔から抜けられるか?  ですが、一概に、できる・できないとは言えません。
自分を完全に乗っ取られるような憑依の状態であれば、難しいでしょうし、魔がさした程度のものでしたら、乗り越えることは出来るでしょう。

手先になっていると言いましても、純粋な信仰心や向上心に付け込まれて、本人は全く気付かぬまま利用されている場合もあります。
正神は、人間に感得されることはありませんし、人間に影響を及ぼすようなことはありません。
集金もしません、物品も要求もしません、勧誘も、集会もさせません・・・・・  
もし、神様的な存在が、目の前に現れたとしたら、かなり次元の低い霊的存在の可能性が高いです。
良く見て、全体像ではなくて、胸ぐらいまでしかはっきり現れていなければ、そうです・・・・・・
昔から、お化けには足が無いと言われているのは、次元の低い霊は、全体を現せないからです。

間違った信仰や、自分(良心=神様)を閉じ込めている人は、憑依されることもあります・・・
心を病んでいる人は、引っ張られるという話しは、そういうことです・・・

陰陽の世界ですから、魔の存在がいるのも事実ですが、怖がる必要はありません。
正しく先祖供養がされていくと、霊線の詰まりがなくなっていき、結果、ご先祖様のご加護も受けやすくなると言うことです。
大難が小難に、小難が無難になんとなく、誘導されていきます。
わからないところで、わが子(子孫)のために、動いてくれているのです。
こういう人は、守護霊団が強力ですから、ちょっとやそっとでは憑依などできません・・・
  

遅くなってしまい申し訳ありません。
お答え頂き、ありがとうございます。

神社で祝詞をあげていたら、体に何かが降りてきて、体から蛇が出ていった幻覚を視たことが何回かあったのです。

一度蛇が出ていったから大丈夫かと思っていたら、そうでもないようでして…。

その夜に大きな蛇がまた体から出て行った幻覚を見ました。

未だに私はどうなっているのか分かりません。

御札は私個人の名前が入っているので、自室でお祀りしていましたが、家族に変な目で見られ、
元々家にあった古い神棚にお移ししたのですが、その神棚は滅多に誰も参らないので変な雰囲気でした。

お移しして、しまったと思いましたが、ホルモンバランスの関係で移し直すタイミングを失ってしまいそのままお祀りしています。

ただ、これで良いのかどうかは分かってはいません。

さなえさん こんにちは  今日は、広い視点(引いた視点)でのお話をしたいと思います。

神社仏閣に参拝するにあたりというシリーズは、神社仏閣に参拝?しに行っているのに、逆によくないことや、無礼なことをしているのにと・・・・  感じていたことをお話させていただいたことから始まりました。

おさらいのようになりますが、神社、仏閣は、祈願所(おねだりをする場所)ではありません。
神社と言う鏡に、自分の内なる神様(お預かりした神様)を写しに行く所です。
自分の神様(良心)がこれだけ大きく輝くようになりましたと報告に行き、感謝する  それだけなのです。

ですが、残念なことに、今では、○○になりますように、何々にしてください、お願いします・・ と、おねだり・・・  中には、小銭(賽銭)を投げつけて、オレ様が来てやったぞとばかりに、アレもコレもねだって行きます。

人間のお願い事を、聞き届けるような正神は100%いません!!!!!!
もし願い事を叶えるような存在が居るとすれば、良からぬ存在です。
そういう存在は、交換条件で動きます  100円取り返すのに1億円請求されるような割の合わない契約です・・・・・・・

どのような背後存在が祀られている神社であったとしても、感謝のみの参拝でしたら、何の心配も、問題もありません
多くの都会の神社では、多くの人がやってきては、自分勝手な「ワレヨシお願い事」や「愚痴や文句」を吐き捨てていきます。
神宮や一宮などの大きな神社では、毎日祓えられていますが、小さな神社などでは、そういうエネルギーが溜まりに溜まっているのが実情です・・・・・・

そんな時に、お願い事や、愚痴や怒りをぶつけに行ったら・・・・ 
同質は呼び合い、逆に穢れを大事に持って帰るような事態になります。

神社は鏡  与える者には与える者が、ケンカする者にはケンカ相手が、嘆き悲しむ者には、さらなる悲しみを  時間差がありますが還ってきます・・・・・・・・

神社仏閣や、史跡や、宗教的遺跡や忠魂碑などで、お経や祝詞など奏上しないほうがよいというのは、お経や祝詞に、様々な念 呪いや怒り、憎しみ  そのようなものもすべて再現され、良からぬ存在を集めているだけなので、注意が必要だからです? いえ  すべきではないと思います・・・・・

(最初は真っ白であったとしても、時間がたつにつれ、穢れも同時に記憶・記録されていくものなのです・・・)

ネコ三昧は、神社で祝詞やお経を上げている方がいれば、離れています 近寄りません

さて  蛇の形象ですが、神様の眷属ということもありますが、ほとんどは良くない形象の場合が多いように思います・・・・  良くない思考・念・恨みや怒りが動物の形象を取っているので、現実の蛇や爬虫類、狐やタヌキが邪悪な生き物というわけではありません・・・・

つづく

前回のつづきです

神社の中だから大丈夫と言うわけではありません
職安の前に、ややこしいヤツラが集まってくる図式と同じで、カモが集まる所ということです・・・・

霊能どうのこうの・・  スピリチュアルどうのこうの・・  手かざしで治療だどうのこうの・・・ 徐霊だお札や、護符だどうのこうの・・・・  おかしな宗教・おかしな会やグループ・・・・  開運だ鑑定だ診断だどうのこうの・・・・  病気が良くなりますどうのこうの・・・・・ などなど  (売り手側)

逆に  ワラをもつかむような思いの人や、スピリチュアルオタクや、祈願・徐霊などの安直な方法を選ぶ人もたくさん集まります・・・・・  (買い手側)

世間に、こんな話は、たくさんあります

ですが  こんなモノに関わるとロクなことはありません
はじめは、軽い気持ちで参加や、体験したとしても、後でエライ目にあうのがオチです・・・・・・
穢れを喜んでもらいに行くようなものなんです  リピーターになるように、子蛇を付けられるでけです・・・・

このようなことを商売(生業:なりわい)にしているような先生様は、わかっていないからできるような人たちです・・・・・・・ (背後の存在が居ても気が付きません  だからできる)
正神からは、すでに鬼籍に入ったモノとして扱われています

今回のさなえさんのお話にありましたが、蛇が出ていくというのは、親蛇の巣に連絡しに戻っただけなのかもしれません・・  一度カモを見つけたら、そう易々と手放すことはありません・・・・
執拗にチャンスをうかがい、闇の世界に引きずり込もうとたくらみます。

大祓詞の間だけ離れていて、祝詞が終われば、「終わりましたか? ほな帰りましょか・・」と  またくっついて帰っているだけです。

霊能者や、グッズや、外のものに頼る人は、大抵、先祖霊(守護霊)の守護が弱い方が多いように思います。  その方向に走れば走るほど、生命エネルギーは漏電して、ご先祖様も守護したくてもできません・・・・

そういう会や、タヌキ先生や蛇先生、キツネ先生に出会う・・ それも  その方の「縁」なのですが、早く気付いて、乗り越えるほうがよいのは、お分かりですよね。

また  神棚にお祀りしていると言われた、お札ですが、そもそも  それは神札でしょうか?
御自分の名前を書かれていると思い違いされているだけなら良いのですが、そうだとしたら、それは神札ではありませんから、神棚にお祀りして良いものではありません。
変な雰囲気と感じられるのは、そのせいかも知れませんね・・・・・ (直感はある意味正しい)

神棚には、すでにお家の方が祀られた、御神札があるはずですから、さらに数があれば、それだけ良いというものではありません。  神宮大麻、氏神札、崇敬神社札  お祀りする札はこれだけです・・・・

話しを整理しましょう  さなえさんが新たに受けられた「お札?」はどういうものかはわかりませんが、どういうお気持ちで受けられたかが大事なことです。

「神様のお世話をしてさしあげたい」ということでしたらよいのですが、何々してください・お願いしますというのならば、神様のお世話など、まだまだ早い段階だと思います。
まずは、善行(つまり感謝・愛情)  与えていくだけの行為をしていきましょう
見返りを求めず、たとえ誰からも気付かれなくても、感謝されなくても、あなたの中の神様だけは知っていますから、その磁気量を貯めることです。(先祖供養も大きな善行です)

磁気量がある人は、霊的には輝いています。  こういう人には、蛇や蟲なんか入り込めないんです・・・・
種を撒いて、次の日に実がならないと気がすまない人が多すぎます。
実がなってないことを他人のせいにして、お店(他:つまり自分以外)に買いに行こうとする・・・・
それじゃ   ダメです   今回生まれてきた意味がありません(死後に大反省することになりますが)
自分自身が、時間と手間をかけて  それこそ人生をかけて育てるものです(集大成として) 
1・2・3・4~という順番なのに、1・100・1000とはいきません。

もらうのではなく与える、外からもってくるのではなく、自分の内側から出す です  
すでに全部あるんですから

意識を変えてみてください。

与えていけば、辛いことがなくなるか?願いが叶うか?思った通りになるか?
それはなりません   上ったステージでの新たな問題も、課題も出てきます・・・・・・
それでも、生まれ出た以上は、途中リタイア(自殺)・放棄はいけません  前に進む(成長)しか道はないのです・・・
回り道(失敗)も重要な経験です。
同じ進むならば、とっとと進んで(成長して)いきましょう。

最後に  ややこしい存在(気配)を感じたなら、「お帰り下さい」と声に出せばいいです。
人が居るような場所では、オカシナ人と思われますから、念じるだけでいいです。
それでもしつこくまとわり着くようでしたら、「いぃえい!」と 気合をかければ切れます。
とは言え 磁気量が少ないと、切れませんケド・・・ 

ここからは 余談ですが
人間の思考は、脳で行っています   そんなことは子供でも知っていますが、神様は何処におられるのでしょう?

それは胸です  灯台下暗し  重なりすぎ・近すぎてわからないだけですが、ずっとあなたといっしょです
一切口出ししませんが、成長するのを楽しみにされています(逆に、悪事をしていると泣いておられます)
  
思考は脳ですが、ホルモン(指令を伝える物質)の多くは腸でつくられています。
腸が悪いと、自律神経が不調となり不定愁訴が出る
イライラや、精神不安から、生活もうまくいかない  不満・ストレスが溜まる
薬や、病院巡り、霊的な原因にするなど、悪循環のスパイラルにあるようです
自分の身体を大事に出来ない人は、先祖供養はおろかその先の神様のお世話も満足にできません・・・
自分はご先祖様の最先端です  自分と言う観光バスにご先祖様を乗せているようなものです。
運転手(自分)の勝手で、乗客(ご先祖様たち)を不安にさせてはいけません。
まずは  自分の身体からです(大切な預かり物ですから)

これは 磁気量の少ない人に多いパターンです

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