カテゴリー「平野区」の記事

2013年5月26日 (日)

喜連(きれ) 五十間樋の石碑 

平野郷の南にある、喜連地区に、五十間樋(ごじゅっけんひ)の石碑が建立されてあります

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五十間樋

江戸時代、この地域の用水は ため池や狭山池に端を発する東除川によっていたが、宝永元年(1704)に大和川の付け替え工事が行われたため、水路が遮断されてしまい、用水の枯渇が心配された。

当時喜連村は東・中・西の三村からなっていたが、西喜連村の庄屋であった増池弥右衛門は大和川から水を取水し、用水に利することを考え 中喜連村庄屋伝右衛門・東喜連村庄屋重兵衛と相談を行った。 しかし、三村の領主が異なることや長吉村や瓜破村など他村の領域を通ることから調整は難航を極めたが、三人の努力により ようやく実現に至り、工事が竣工したのは同年八月のことであった。

この用水樋は、長さ六十九間(125m)・堤外五十間(90m)あったので俗に「五十間樋」という。

この説明板は当時の喜連村を通っていた水路の場所にある。

平成十六年三月   平野区役所

石碑より

喜連北小学校正門の東側のところにあります

石碑自体は、まだ新しいモンですわ・・・  

石版がツルツルやから、写真撮り辛らっ!!(≧≦)

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右の画像左側のところに、こっそりとあるんです・・・・・

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ほらね  あんまり気が付きません・・・・・ どこヽ(;´Д`ヽ)(ノ;´Д`)ノどこ

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右画像と、左画像の道路の間数メートルが樋やったということでしょうか・・・

瓜破村から、長吉村を経て、北池へ流れ込み、そこから喜連村に流してたようです

その先は今は廃川となった喜連川となって、現在の今川に流れ込んでたんやろか

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左画像では、東向きなので、右側  右画像は、西向きなんで左側・・ 阪神高速松原線と下は、内環状線になります

喜連地区にある、如願寺には、「灌漑長閘紀功碑」っていう、五十間樋の顕彰碑が残されていますワ

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はい如願寺 そんで  これが顕彰碑

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まったく読めへんけど、なんでも川底に伏せた特殊な樋やったんやて・・

画像探したけど、2007年に撮影したのんしか見つかれへんかったぁ・・・

まあええか・・・  たぶん そんなに変わってへんと思うし (ノ`) そんでエエんかぁ 

ちなみに、喜連も環濠都市やったんやで

おしまい

2011年10月 3日 (月)

平野と乳業

平野では、昔から乳業が盛んでした。 今では工場地帯となった、加美南地区も、昔は、牧場で、牛が飼育されていました。

現在、加美南にある、「いかるが乳業株式会社」さんは、大正5年(1916)創業の会社です。  創業は生野区ですが、昭和20年に、今の場所に移りました。

大阪市・藤井寺市・柏原市の学校給食では、この「いかるが牛乳」が飲まれています。

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昭和20年以前は、別の牧場でした。その牧場は移転しましたが、その当時の労働者の息子さんが、現在の韓国の大統領である李明博:イ・ミョンバク大統領です。

戦後、両親に連れられ、帰国されました。 その時まだ4歳ですから、そのころの記憶は、ほとんど無いかもしれませんね・・

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大統領就任当時、このあたりに、記念碑をつくる計画がありましたが、後に行ったときには、何もありませんでした。 

(今はどうか、あるのかないのかですが)(ええかげんな情報でスイマセヌ・・)

実は、掲載の画像自体は、三年ほど前の取材のものです・・・(;´`A``あちゃ~

気を取り直してっ・・ 

余談ですが、「いかるが牛乳」は、2つあります・・・

一つは、今回の紹介した、「いかるが乳業株式会社」さんと、もう一つは、「株式会社いかるが牛乳」さんです・・

株式会社いかるが牛乳さんは、大正12年創業です  元々は、一つで、同族の方が起業分家して、現在は別の企業、別のグループ会社になります。

社長はどちらも、やっぱり「鵤」(いかるが)さんです だからややこしいんです

実は、平野区には、現在でも、乳牛を飼育されているところがあります・・・

えっ(=゚ω゚=;)

場所や、名称などは、ご迷惑がかかるといけませんから、秘密です・・

人が多く行くと、ストレスがかかって、お乳が出なくなったりするといけませんから、わからない程度に画像サイズも小さめにしておきます・・・

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地元の人でも、あんまり知らないと思います・・ (゚゚; しー  

(結構住宅街になってきていますから、いずれかは、移転せざるを得ないのかも・・  それまでは長く残してほしいものです  がんばれ==

こちらの画像は、最初の画像1つ以外は現在の画像です・・

一昔前は、大和川あたりに行けば、いっぱい、牛や豚がいましたが、今はいなくなりましたねぇ・・・ 風向きによっては、牛や豚の臭いがしていたのが、今では懐かしいです・・

平野郷でも、昔は牛や馬が、普通にいたようです・・  

2011年2月23日 (水)

平野区か大和川区か??

平野区は、昭和四十九年七月二十二日に発足した区です。 それまでは東住吉区でしたが、人口増加による区役所などの行政機関をはじめ、福祉関係、公共施設などのアンバランス化が目立ち始め、分区することになったのです。

東住吉区ではもともと、住民の生活区として大まかに、田辺地区と、平野地区に分かれており、そのため、同一区に、二つの警察署(田辺警察署と杭全警察署)がありました。

ところが、昭和三十年に大阪市に編入された、加美、長吉、瓜破、矢田の四地域があり、古い農村的体質、意識や習慣が残されていたり、通学区分、杭全神社氏子の分断問題もあり、簡単に分けることが困難でした。  そこで協議を重ね、主要幹線道路を境にする案となりましたが、瓜破地区が区の境で分断されるために、新たな道路を建設して境界とすることに決まりました。

いざ分区となった時に、元々の「東住吉区」という名称の争奪戦が始まりました。

現在の平野区役所の場所が、旧東住吉区役所で、現在の東住吉区役所の場所が、田辺出張所で、この出張所を、五階建ての新庁舎にすることから、行政側は、新庁舎側(田辺側)に、「東住吉」の名称をつけるのが妥当と、平野側の住民を説得することになりましたが、理解を得ることはできませんでした。

話し合いの上、結局、東側の区は、歴史的にも、庁舎が平野にあることなどから、「平野」が最適であろうということとなりました。

決定を前に、意識調査として、無作為抽出の500名にアンケートを行い、回答率60%以上の内、大和川区・南住吉区・長吉区などと回答した人もいた中、約80%の人は平野区がよいと回答しました。

これで区政協力会でも、おそらく「平野区」に決定されるであろうと、思われたのに、予想外のことが起きました

昭和三十年に大阪市に編入された地区の代表者たちが、新区名を、「大和川区」にするよう、同一歩調をとったのでした・・・  (ノ∀`) あチャー

決選投票で「平野区」「大和川区」はほぼ同数となり、最終的には、大和川から一番離れている加美地区の一票で、「平野区」に決定されたのでした。ぱちぱち

もしかしたら、大和川区だったかもしれなかったんですよ・・   どっちでもいい・・ そうですか・・・

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         平野区役所                    東住吉区役所

平野区役所庁舎は、平成十三年に新築されましたので、まだきれいです。