カテゴリー「平野郷十三口」の記事

地蔵尊

2011年3月29日 (火)

河骨池口地蔵尊の力石

河骨池口(こおのいけぐち)地蔵堂には、力石(ちからいし)が残されています。  お地蔵さんの所には行ったことがあるけど、そんなのあった と言う人がほとんどでしょう・・・

河骨池口地蔵尊は、以前にもご紹介した通り、岩村食堂さんと一体化???している、お堂の、お地蔵さんです。

0802040128 1101230206

どこにあるかと言いますと、荒垣の隙間にこっそりあります。

1103050145 0806080079_2 1101230204 0808310233

本当にこっそりです・・・ c(>ω<)ゞ

力石(ちからいし)は、さし石とも呼ばれていますが、地方相撲の力士や、草相撲のための地元の若者の鍛錬(今で言うとトレーニング)や、力比べをするための石です。

神社、寺社仏閣、公園などに現在でも残されていることがあり、ここ平野郷でも、大坂相撲とかかわりが大きく、力士名の入った、力石が残されているのです。

河骨池口地蔵尊の力石は、文字が読めませんが、大きく「力石」とまんまストレートに彫られているような気がします。 (あしたのジョーを思い出すっ・・

2011年2月19日 (土)

平野郷十三口 ⑬ 小馬場口地蔵

平野郷十三口  小馬場口地蔵 こばばぐちじぞう

1101230580 0902140147 1101230574 1008090006

この地蔵堂は小馬場口門の傍らにあったもので、小馬場口は田辺や、かつて平野郷の散郷であった今在家(今川)、新在家(杭全)などとの出入口であり、大念佛寺への参詣道でもあった。   説明板より

1101230578 1009110295 1101240011 0811210114

平野郷十三口 最期を飾る十三番目のお地蔵様でした。 

昔からの地蔵堂が残っている所と、新しい所がありましたが、みな地域に愛されて、います。(o^-^o)

2011年2月15日 (火)

平野郷十三口 ⑫ 田辺道西脇口地蔵

平野郷十三口  田辺道西脇口地蔵 たなべみちにしわきぐちじぞう

この地蔵堂は田辺道西脇口門の傍らにあったもので、田辺方面へ通じる木戸口であった。

環濠があった頃、地蔵堂は濠を背に東向きに建っていたが、昭和初期、濠を埋め道路を西へ伸長する際、南の道へ移され北向きとなった。   説明板より

0904240123 1101230606 0911120103 0911120106_2

あごひげにタキシード  が似合う、ダンディなニャンコ 

北向きのお地蔵さんは、割と少数派のようです。      

地域を守る、お地蔵さんは大事  にされていて、現在まで残っています。

1101240267 0903120119   

2011年2月13日 (日)

平野郷十三口 ⑪ 西脇口地蔵

平野郷十三口  西脇口地蔵 にしわきぐちじぞう

0810150130 0809150324 0806240040 0806240049

この地蔵堂は南口地蔵(みなみぐちじぞう)とも呼ばれ、西脇口(南口)門の傍らに会ったもので、この木戸口より南下すると、堺口の住吉、堺に行く道と合流する。

地蔵堂前の東西の道は環濠跡である。   説明板より

1102020403 0909200563 1102020405 1002060298 0806240025 0909200563_2

お地蔵さんには ニャンコがよく似合う  そこだけ、ゆっくりと時間が流れます (* ̄ー ̄*)

2011年2月12日 (土)

平野郷十三口 ⑩ 堺口地蔵

0809150297_2 1101230474_2 1101230480_2 0711190019_2

平野郷十三口  堺口地蔵 さかいぐちじぞう

この地蔵堂は堺口門の傍らにあったもので、西脇口とともに、中野から鷹合を経て住吉や堺に通じる出入り口であった。

地蔵堂の西側の道路は環濠跡である。

向かいの観音寺は昔から銀杏観音と呼ばれ、その大木は有名である。  説明板より

中野、鷹合は現在の東住吉区にある地区です。

中野は、かつては中野邑(村)で、平野郷町の散郷四村の内の一村でした。

鷹合は、かつては鷹甘邑(鷹合村)でした。

0809100491_3 1101230481_2 1101230483_2 1101230482_2

地蔵堂向って右側の道路や住宅が、環濠跡ですが、杭全公園や、平野公園(松山公園)以外は、住宅街となり、かつての姿を想像しにくいですね・・・

0912080408_2 0912080414_3

銀杏観音として親しまれている観音寺。  地蔵堂の先向かいに銀杏が見えますね。

2011年2月 8日 (火)

平野郷十三口 ⑦ 出屋敷口地蔵

平野郷十三口  出屋敷口地蔵 でやしきぐちじぞう

1102020331 1101230383 1102020333_2 1102020334

この地蔵堂は出屋敷口の傍らにあったもので、その名は野堂町(のどう)の出屋敷地区であったのに由来する。

田畑口とともに、藤井寺や道明寺に通じ、また町民の辰巳墓地(たつみ)墓地への参道でもあった。

1102020330 1101230386

ここの地蔵尊は、なんと、個人宅に併設されていますね。

こりはっ  当時は町外れだったのでしょうが、今では、住宅街ですぅ~

Untitled Untitled3

北池の上側、雪だるまの頭部に当たる所が、辰巳池です。 墓地の記号がありますね・・ 

昭和4年の地図より

0712040052 0712040049

現在辰巳池は、常盤会短期大学となっており、墓地は、大阪市営平野霊園となっています。

北池は、現在 常盤会学園大学と、市営喜連北池住宅になっています。

2011年2月 7日 (月)

平野郷十三口 ⑨ 流口地蔵

平野郷十三口  流口地蔵 ながれぐちじぞう

1101230354_4 1101230361_5 1102020371_5 1102020362_3

この地蔵堂は流口門の傍らにあったもので、大門であった木戸口から南下する道は中高野道と称し、 喜連(きれ)、瓜破(うりわり)を経て、かって平野川の水源であった狭山池で堺から来る西高野道と合流する信仰の道であった。  説明板より

1102020359 1102020361 1102020366 1102020372

下右の、角の車避けに使われている石柱は、橋の欄干の一部のような感じですね・・・ 

平野郷には、かつて大溝と呼ばれる、農業用水などの生活用水に使われた、水路がたくさんありました。 (昔の小橋の柵はほとんど無いことも、あっても低いものが多かった 安全などの意識はないのどかな時代)

その大溝の橋の欄干を再利用したのではないでしょうか 

流口地蔵尊を挟んで、南港通りを渡った、廃業されたお風呂屋さんの入口付近に、同じ石柱(たぶん)が転がっていました。 (ちょっと離れていますが見える距離)

役目を終えて切断された、木製の街灯柱も、ええ感じです。

もう煙の出ることのない煙突も、ええ感じです。

0801160090_2 0801160093 0810080466 0810080467 

2011年2月 5日 (土)

平野郷十三口 ⑧ 田畑口地蔵

平野郷十三口  田畑口地蔵 たばたぐちじぞう

この地蔵堂は田畑口門の傍らにあって、藤井寺、道明寺から南河内、大和へ通じる木戸口であった。

役行者(えんのぎょうじゃ)像が祀られているのは、この出入り口が大峯山への参詣道であることを示している。  説明板より

1101230342 1101230346 1101230345 1101230338

藤井寺・道明寺は地名になっていますが、元々、藤井寺は、西国三十三ヶ所観音巡礼 第五番札所 紫雲山葛井寺(ふじいでら)のこと。

西国巡礼は伊勢参宮とともに庶民の旅を代表するものでした。

道明寺は、蓮土山道明寺のことで、真言宗の尼寺で、菅原道真の祖先の土師(はじ)氏の根拠地であり、土師寺として建立されたものです。 明治五年の神仏分離により道明寺天満宮より現在地に移転しました。

役の行者というのは通称で、役小角(えんのおづぬ)と言い修験道の祖ですね。 

大峯山寺のある大峯山は、信仰と修行の場としての山々のことで、平安時代初期から現在も女人禁制  の霊場です。

平安時代からって・・・ 驚き!! 大峯・吉野は古代からの山岳信仰の聖地なのでぇ~す。    

1102020353_2 1102020351 1102020347 1101230339

2011年2月 2日 (水)

平野郷十三口 ⑥ 樋ノ尻口地蔵

0909200327 0909200324 1102020287_2 1102020281

平野郷十三口  樋ノ尻口地蔵 ひのしりぐちじぞう

中世、とともに自治都市として栄えた平野郷は、戦国時代には自治と自衛のため、濠と土塁をめぐらした、俗に「環濠集落」と呼ばれる形態をもっていた。

いま杭全神社の東北部と、赤留比売命神社(あかるひめのみこと)の背後にその面影を残している。

濠のあいだには大小十三の木戸口があり、摂河泉各方面へ道路が放射状に延びていた。

樋ノ尻口門は奈良街道や久宝寺、八尾につらなるもので、木戸としては大きい方であった。

のそばにはいずれも地蔵堂遠見櫓(とおみやぐら)、門番屋敷があった。

この地蔵堂も樋ノ尻口門の傍らにあったもので、郷から外に出るときは一身の加護を祈り、外からの変事はこの入口で退散させようとした祈願のあらわれであろう。      説明板より

1101230278 1102020282

大坂夏之陣の元和元年(1615)五月七日、徳川家康の樋ノ尻口通過を予測した真田幸村は、この地蔵堂に地雷を仕掛け大坂城へ引き上げた。

予想通り家康が来て、ここで休憩したが、ちょっと座を外したときに地雷が爆発し、危うく命拾いしたという伝説があり、現在 全興寺(せんこうじ)に祀られている首地蔵は、このときの爆発で吹き飛んだきた樋ノ尻地蔵の首と伝えられている。    説明板より

0909200330 0711170027 0711170029 1101030398

交番横には、大阪市建立の、樋ノ尻口門跡の碑があります

樋ノ尻口地蔵は、十方法界地蔵としておられますが、けっこう大きなお地蔵さんです。 

(それ程古くはないようです)

2011年1月30日 (日)

平野郷十三口 ⑤ 市ノ口地蔵

0811110090_3 1101230248_2 0712170052_2 1101230259 

平野郷十三口  市ノ口地蔵 いちのくちじぞう

この地蔵堂は市ノ口門の傍らにあったもので、大門の市ノ口は

久宝寺、八尾から信貴山へ通じる出入り口であった。

地蔵堂の位置は国道二十五線の拡張に伴い少し移動されている。

十三口中、最も大きな地蔵で、堂前の石灯籠に享保二十一年(一七三六)の銘がある。   説明板より

現在は、国道25号線沿いにありますが、拡張前、この部分の道は、八尾街道でした。 

民家とガレージの間に挟まれて、ちょっと 窮屈そうですね・・  

1101230251 1101230253 1101230247 1101230249

より以前の記事一覧