カテゴリー「長寶寺」の記事

2013年7月 4日 (木)

坂上春子姫 王舎山長生院 長寶寺

坂上春子姫(さかのうえのはるこ ひめ)生年不詳-承和元年(834)は、坂上田村麻呂の娘であり、桓武天皇の妃で、桓武天皇(かんむてんのう)崩御である延暦二十五年三月十七日(806年4月9日)の後、兄である、坂上廣野麻呂の居る廣野庄(後の平野庄)に来て、弘法大師に帰依して剃髪し、慈心大姉と号しました。

そして、天皇の廟所として、禁輪寺、坂上氏の氏寺として、長寶寺を開基しました。

1307010222 1307010226

広大な堂宇も、元弘の乱、建武元和の兵火で、ことごとく灰塵となっちゃいます・・・

1306280238 1307010227

長寶寺寺紋 「向馬」(むこううま)  坂上田村麻呂の定紋ですワ・・・

春子姫の墓所は、杭全神社横にあります

1306170135 1306170130

そんで  桓武天皇は、こんなお方

683pxemperor_kammu_large

画像はウィキペディアよりお借りしました

ここで ネコ三昧脳内イメージイラストこな~  坂上春子姫だす はい どんっ 

たま~にしか 描かへんけど  今回も さぁ~びす さぁ~びすっ

1307040160

この頃は、一夫一妻制やないから、皇后や妃、夫人、女御(にょうご)、宮人(みやひと・きゅうじん・くにん)とか、たくさんおったんや・・・

春子姫は、宮人やったようですなぁ・・

兄、坂上廣野麻呂墓所とされてる所

1306200149 1306200156 1306200150 1306200153

後の時代に造られた形式上の墳墓のようですワ  もちろん本当のお墓かもシレマセンが・・・

現在は、児童公園 「坂上公園」(さかうえこうえん)となってます・・・

子供たちは、「さかがみこうえん」って呼んでますワ・・・・ ((ノ)゚ω(ヾ))

ま  正確には、「さかのうえこうえん」なんやろうけど・・・

んで・・  長寶寺裏側にあった、坂上廣野麻呂屋敷跡

1306280247 1306280253 1306280250 1306280249

明治になる頃までは、子孫の方が住んでて、昭和の後半頃までは、土塀が残ってました。

おしまい

 

2012年7月13日 (金)

長寶寺 よみがえりの草紙

平野郷にある、長寶寺(ちょうほうじ)は、桓武天皇の崩御後、その后である坂上春子姫が、弘法大師に帰依剃髪し、父坂上田村麻呂が、平安時代 大同年中(806~810)に、坂上氏の氏寺として建立された寺院です。

現在は、真言宗寺院ですが、かつては真言・浄土兼学の寺院でした。

また、閻魔信仰の寺院として、多様な信仰をしていた寺院です。

(現在でも、えんまさんのお寺としても有名ですね)

Img_8930 Img_8940

「よみがえりの草紙」とは、永享十一年(1439)六月六日 に、比丘尼慶心(びくにけいしん)が、亡くなったことから始まります。

慶心は、熊野詣で使用した、金剛杖を手に、自らが信仰する、中尊不動明王の導きにより、地獄を訪れます。

途中、己が因果の報いにより、八大地獄にて、極卒たちに責め立てられる者たちを、見ながら三途の川を渡りました。

罪を犯した者たちが渡る、くろがねの上では、猛烈な炎で、下には大蛇が待ち構えています・・・

生前善根を積まず、悪行を行ないし者は、後悔しても、時すでに遅し・・・ でした。

さらに奥に導かれ、進んでいくと、そこには、宮殿があり、十王(じゅうおう)と閻魔大王がおられました。

閻魔大王は、言いました

「本来は、住持を招き、出家・在家の者が受けることになろう、苦の姿を見せ、生前に死後の冥福を祈る逆修(ぎゃくしゅう)をすすめるつもりであったが、そなたを招いた」

「ここで見たことを、つぶさに語り、生前の善根の大切さを、出家・在家門徒だけでなく、あらゆる者に伝えよ」

地獄の様を見た、慶心は、額に印を押され、死後三日後に蘇り、閻魔大王の言葉通り、逆修の大切さを説きました。

生前に功徳を積むこと、善行の大切さ、逆修の大切さを説く日々が続いた、嘉吉元年(1441)十月十五日 読経中、本堂にいた、青蜘蛛を、掴んだその時、突然気を失い倒れてしまいました・・・

それは、慶心の地獄体験そのものを、夢物語だと疑い、信じようとしない人々が多いことを、懸念した閻魔大王が、再び印を手のひらに押し、その判を授与結縁させることを命じるためでした。

再び息を吹き返した、慶心の手には、舎利が握らされてあり、青白い光を放っていました。

その後、客僧が長寶寺を訪れ、閻魔大王の像を木像を刻んで、立ち去りました。

この客僧は、閻魔大王の化現であったと言います。

Img_9004

ネコ三昧 脳内イメージイラスト 閻魔大王   こわ !!(゚゚屮)屮 

毎年 5月18日に ご本尊の秘仏御開扉と、閻魔王御法印授与が行なわれています。

閻魔大王の御判を持つものは、地獄に落ちないっていう言い伝えがあるんですよ・・・

(=゚ω゚=;) ほ ほんま

Img_8931 Img_8933

Img_9002_2 2009071_2

よみがえりの草紙  平野区誌より                   蜘蛛画像は ネット上からお借りしました

Img_8938

「よみがえりの草紙」は、ことの顛末と、地獄で見聞きしたことなどが書かれてるんですねぇ・・・

へー そーかいな ( ̄ ̄)

おしまい

2012年5月 6日 (日)

長寶寺 秘仏御開扉

王舎山 長生院 長寶寺(ちょうほうじ)では、毎年五月十八日に、秘仏である、御本尊の、十一面観音菩薩像 および えんま大王像の 秘仏ご開扉が行なわれます。

Img_3850 Img_3848

さらに、当日は「閻魔さんの日」として、寺宝の えんま大王御宝印授与が行なわれます。

閻魔大王の証判を持つものは、地獄には落ちないと言い伝えられているもので、この日、額に御宝印を押していただけます。

※注 午前11時 と 午後2時30分の 2回のみ

午後3時からは、三味線と阿波踊りによる奉納が執り行われます。

大師堂(旧田村堂)では、仏像展示や、こんにゃく煮や餅まきなども行なわれます。

Img_7516

閻魔大王御判の由来(抜粋)

此の御判は「平野長寶寺よみがえりの草子」にある通り、永享十一年(1439)慶心房が本堂で読経中、閻魔王のはからいで當寺院の不動明王に導かれ、閻魔王宮に行き、閻魔大王が牛頭鬼・馬頭鬼を使い鉄の刺股で、極楽行、地獄行と閻魔大王自らが決め、善根していない者は地獄に堕ち、聞くだに恐ろしい地獄の責め苦が日毎、夜毎くり返され、八大地獄の苦難の恐ろしさを見せ、生前に善根功徳をする様をすすめるために、慶心房を頓死させ、其の証拠として慶心房の額に判を押して蘇生させたが、人々は信じないので、嘉吉元年(1441)十月十五日慶心房が読経中一疋の青蜘蛛が下り、それをつかむと気を失い、又、閻魔王宮に行き、王に召され八大地獄を見せたが、人々が信じないので、前に慶心房の額に判を押したが、色がうすくなったのを版木に刻り、其の判を押して人々に結縁さす様に固くおおせられたので、三日後に蘇生した後は、閻魔大王より頂いて持ち帰った証判を今の世まで、一般参詣者に結縁授与するものなり。

合掌

王舎山 長生院 長寶寺

説明書きより

Img_7520 Img_7870 Img_7526 Img_7527 Img_7865 Img_7519

今年は、5月18日は金曜日やけども、休みの人は、どうぞお越しください

詳しくは 長寶寺HP にて http://www.eonet.ne.jp/~chohouji/index.html

平野郷の歴史を知る上で、外せないお寺ですワ

平野郷夏祭りでも、七月十四日の本宮に、御神輿が立ち寄り、神輿渡御が行なわれまっせ。

(*゚)ノおみこし おみこし うひゃぁ~

2011年2月 3日 (木)

長寶寺 王舎山長生院

坂上田村麻呂の娘で桓武天皇の妃の春子姫が、延暦二十五年(806)桓武天皇崩御により、弘法大師に帰依し剃髪し慈心大姉となられ、長寶寺を開基されました。

広大な寺域だった寺も、その後の元弘の乱・建武元和の兵火にあい、ことごとく焼失し、現在の本堂と庫裡は、天保年間(1830~44)第三十三代慈源大姉の代に再建されたものです。

1003170223_2 0807140222_2 0901170141_2 0711180140_3 0809140139_3 0711180138_2

王舎山の山号は、後醍醐天皇が、皇居を吉野に移される時に、長寶寺を仮の皇居とされ、その時に賜ったものです。

王舎山長生院
長寶寺の文化財

当寺は、平安時代(806~810)に桓武天皇の妃となった坂上田村麻呂の娘 春子が、天皇の崩御後、兄の広野麻呂の居る平野に来て落飾、慈心大姉と号し、天皇の廟所として禁輪寺、坂上氏の氏寺として本寺を開基、以後代々坂上氏の女子が比丘尼として法灯を継いできました。寺伝では南北朝時代、後醍醐天皇が皇居を吉野に移される時、当寺を仮皇居とされ、熊野権現社に扁顧を賜ったという。
本寺の絹本着色「仏涅槃図」は釈迦入寂の様子を描いたもので、鎌倉時代の名品の一つです。 銅鐘は建久三年(1192)の銘を有し、京都東山金光寺の鐘であったことがわかり、鎌倉時代の代表的和鐘の一つに数えられています。 ともに国の重要文化財に指定され、市立美術館に寄託されています。 他に「長寶寺縁起」「よみがえりの草子」「逆修講縁起」があり、毎年五月十八日には秘仏の十一面観音像・閻魔王像が公開され、「えんま王の御判」を押捺する法会があります。 杭全神社との由縁から、毎年七月十四日の夏祭りには「渡御」の神事が行なわれています。      説明板より

1012310378_2 1003170231_4

  坂上家の紋である向馬」(むこううま)             閻魔大王の御判の由来

0807140255 0807140244 0807140247_3 0807140249