カテゴリー「神社仏閣に参拝するにあたり」の記事

2015年8月11日 (火)

神社仏閣に参拝するにあたり17(命とは・なぜ生きる編)

お好み焼きを差し入れで頂きました ヽ(´`)/  今回の記事は、お好み焼きについて・・・

ではなくて、それを包んであった新聞紙に、人生相談が載っていて、その内容がどうも気になり、それを足がかりに、命とは・なぜ生きる ということを、皆さんと考えてみたいなと思いました。

ですので、今回の記事は、平野郷とは、全く関係の無いシリーズの記事です・・・

今回は、特に中盤以降、霊的なオハナシてんこ盛りですので、キライな方は、他のカテゴリーを見てくださいね。

では   その 気になった新聞記事です ((・()・))


人生相談


けんかをすると「死ね」という三男

回答者 高橋源一郎 (作家)


小学2年の三男です。けんかをすると 「死ね」 「死にたいわ」、気に入らないと 「出ていく」 と手がつけられません。

学校ではお友だちにそんな態度は取らず活発です。 生きる楽しさを伝えたいのですが、この言葉を聞くと、現実にならないよう祈るばかりです。   (40代・女性)



こんにちわ。 我が家にも、小4と小5の男の子がいるので、お察しします。 

さて、三男ちゃんは、学校ではふつうなので、家庭もしくはお母さんに不満があるのかもしれません。 

上にお兄ちゃんたちがいるので愛情の不足を感じているとか。

我が家では、そうならぬよう、猛烈に愛してあげることにしています。

「死ね」といわれたら 「いやだあ、××ちゃんと会えなくなるから、死にたくなあい!」、

「死にたい」といわれたら「××ちゃんが死んだら、お母さんも死んじゃう!」、

「出ていく」といったら「寂しくなっちゃうから、出ていかないでえ!」と叫んでみましょう。

でも、それだけではまだ不足。

隙あらば、抱きついて、チューしてあげて「好き、好き、大好き」といってあげましょう。

さらに、夜寝るとき(我が家では、いつもこうしていますが)、先に寝ている三男ちゃんのところに行き「さあ、大好きな××ちゃんはもう寝ているのかなあ」といって、しがみつき、「一緒に寝て、お願い!」といいながら、もちろんチューの嵐。

可能なら、反対側からお父さんにも参加してもらって「おれの方がもっと好きだ」といってもらいましょう。

三男ちゃんが「お願い、もうやめて!」というまでやってあげてください。

我が家では、これを「愛情の押し売り作戦」と呼んでおります。

布団で遊んでいる兄弟に、わたしと家内が近づくと、彼らは「おとなしく寝るから、チューしないで! ごめんなさい!」と降参して、効果抜群です。

毎日新聞 くらしナビ 2015年(平成27年)4月27日(月) より(原文のまま転記)


はい  この相談記事を読まれて、皆さんはどのようにお感じになられたでしょうか

まず 相談者のお母さんは、子供さんに、生きる楽しさを伝えることで、「死ぬ」「死にたいわ」「出ていく」などの自暴自棄な、言動や行動、相手を傷つける言葉を止めさせるのにはどうしたものか、と言われた上で、今後を不安に思われています。

それに対して、回答者のアドバイスでは、愛情が不足しているという推測から、「我が家?」の方法を薦めておられます・・・・

様々な判断や、各家庭の教育方針がお有りでしょうから、それはそれでいいのでしょうが・・・・

それでも  やっぱり  何か チガウぅうう~~~~・・・・・・ (≧≦)

愛情不足が原因の一つかもしれませんが、まずは、自分の思い通りにならなければ、「死ね」「死にたいわ」「出ていく」などという、言動や行動が、良いことなのか・どちらでもないことなのか・悪いことなのかを、保護者や指導する立場にある人が、客観的に判断する必要があります。

今回の男の子の環境や経緯がわからず、お母さんの相談内容から判断するしかないので、詳しくはわかりませんが、少なくとも、良いことではありません・・・ 

でも、それを指摘するだけでは、ケンカになるだけです・・・・

それがどういうことなのか  「本当の意味で理解していない」 からなんです

自分でも、わかっていることを、他人から指摘されると、反論・反発・言い訳・隠蔽・ごまかし・正当化したくなるのが人間の弱いところです・・・・

では  どうしてあげるのがよいのでしょうか??

何故それが良くないことなのかを、その子なりに理解させてあげないと、同じことの繰り返しとなります・・・・・・

自分の発した言葉や、行動で、傷つく人がいること、困る人がいること、気分を害する場合もあること  など

自分の言動・行動で、どういうことが起こったか、相手がどういう気持ちになったか・・・

それを ウヤムヤにしていると、相手を思いやる心が育ちませんし、責任感も、いつまでたっても身に付きません・・・・・・

今回の相談記事のように、「死ぬ」に対して「お母ちゃんも死ぬぅ」ではキリがないのです。

良くない(悪い)ことを、良くない(悪い)と言わずに肯定する・・   

これでは、子供は、勘違いしてしまいます。 (大人でもですが・・・)

お子さんのために良くないだけでなく、相談者のお母さんの心配が現実になりかねません。

それに  いつまでも子供と思っていても、小4・小5(10歳・11歳)にもなると、オッサンにチューなんかされるのが嫌で嫌でたまらないと思います・・・ 

だから 降参しておく  負たフリをする・・・・・  ψ(`´)ψケケケ

完全に 子供の方が、一枚上手です・・・・・・・・・・・ (;´д`) ばれた

ここからは、自分も、相手も大切にしないような言葉・行動をすることが、なぜダメなのか どうしたらよいかを霊的なオハナシも交えて、考えていきたいと思います。

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第1章 当たり前はあたりまえ?

日本という国は、戦後に目覚しい発展を遂げて、現在の姿が在ります。

蛇口をひねれば、日本全国どこでも、浄水が出て、スーパーやコンビニの棚には、商品が溢れ、生鮮食品は、期限を過ぎればすぐ廃棄・・・・・ 停電も何年かに一度くらい・・・・

失業率が上がり、就職難と言われていても、路上に餓死者が転がっていたり、地雷や、爆撃、狙撃に怯えずに外を歩けますし、猛獣や、伝染病の危険もほとんどありません。

でも  世界中では、毎日のように子供が、飢餓や、病気で死んでます。

満足に食べることも、教育を受けることもできない国や地域の人たちも多いのです。

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私たちのほとんどは、戦後に生まれて、戦中・戦争直後の苦労を知りません。

生まれたときにはすでに、平和で、インフラが整備され、便利で安全な暮らしや生活・教育が当たり前になっていて、有り難さも、ほとんど感じていないんです。

でも  いざ地震などで、電気や水道、ガスが来なくなると、その時 分かるんです・・・・・・

そう  人は失ってから、ありがたさがわかるように、初期設定されて、生まれてきています

え゛っ!! Σ(゚д゚;)

やってもらって当たり前、当然、別にィ普通ぅ と思っているうちは、その人の手をどんどん離れ、いずれ失っていく・・・  そういうことが多くなると言うことです。

収入(仕事)  家屋や土地・財産  生活環境  健康  身体の機能  パートナーや子供(家族)  友人知人  その他 大事にしているもの・思っているもの・・・・・・・・・ 

心から有り難さに気付くまで・・・・・・・・

親が死んで、その有り難味がわかった・・・・  ガンになってやっと、健康の有り難味がわかった・・・・・

世間でよく聞くこんな話は、本当なんです。

では   どうしたらその流れを止められるんでしょう??

まずは   何事も 「あたりまえ」 と思わないことです。

正確には、何事も あたりまえじゃないことに気付く ということです。

お金を払ってるんだからとか、給料を出してるんだから、世話をしてやってるんだからと思っていると、その流れを止めることは出来ませんし、さらに 流れを逆回転させて、「運のいい生き方」の流れにすることはできません・・・・

皆さんは、裕福な人は、広い家に住んで、お金持ちで、いい車に乗って、いい会社のいい役職で、と想像されるかもしれませんが、それは、この世での一部分表面上のことにすぎません。

それが 「幸せ」 だと思われている人が、多いのも事実ですが・・・

本当に裕福な人は、思慮深く、自分だけでなく、相手を思いやる心を持ち、他者(自然・環境・生き物・目に見えないものなど)を愛する(許せる)です

財産や地位、学歴、名誉、職業などや、物質的なもの、国籍、性別、年齢、外見などは関係はありません・・・・・・・・

今回の相談のように、「死ね」「死にたいわ」ということを平気で言う人は、霊的には自らの命を捨てています。  言葉には、昔から言霊(ことだま)が宿るといわれていますが、本当なんです。

何らか(自分や周りの大切な人)の生命エネルギーを失う(奪う)方向に動きます。

本人は気付かない・知らないからでしょうが、残念なことです。

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第2章 命はだれのもの

こども病院という名の、病院があります。

ここでは、病気のために、通常学級に通えずに、院内学級で勉強しながら、病気に立ち向かっています。

ここで一つの詩をご紹介したいと思います

                    宮越由貴奈 (小学校四年)

命はとても大切だ

人間が生きるための電池みたいだ

でも電池はいつか切れる

命もいつかなくなる

電池はすぐにとりかえられるけれど

命はそう簡単にはとりかえられない

何年も何年も

月日がたってやっと

神様から与えられるものだ

命がないと人間は生きられない

でも

「命なんかいらない。」

と言って

命をむだにする人もいる

まだたくさんの命が使えるのに

そんな人を見ると悲しくなる

命は休むことなく働いているのに

だから

私は命が疲れたと言うまで

せいいっぱい生きよう

電池が切れるまで 子供病院からのメッセージ すずらんの会編 より

宮越由貴奈さんの母 陽子さん

五歳の時、神経芽細胞腫(しんけいがさいぼうしゅ)と診断され十一歳で亡くなりました。

信大病院での抗ガン剤治療や腎臓を片方取る手術に始まり、こども病院に移っての自家骨髄移植やその他にもいろいろなつらい治療を受けながら、入退院を繰り返していた頃、テレビで流れるニュースと言えば、いじめだとか自殺だとかが多く、同じ頃病院では、一緒入院していた友達が何人か亡くなりました。生きたくても生きられない友達がいるのに自殺なんて・・・・・・そんな感じでした。それにちょうど院内学級で電池の勉強をしたばかりだったそうです。

この詩を書いた四ヵ月後に亡くなりましたが、これを書いたとおり充分精一杯生きました。

書くことがそんなに得意ではなかった娘のこの「命」という詩は十一年という短いけれども凝縮された人生の中で得た勉強の成果なのではないかと思います。

子どもたちと共に  より

ここまで読まれて、どのようにお感じになられたでしょうか

病気に負けまいと懸命に頑張っている人の前で、「死にたいわ」と言えるでしょうか

今 あなたが生きていることも、当たり前ではありません

すでに とんでもなくありがたいことなんです

こんな風に書くと、自分より下を見て、「私はまだマシなんだと納得しましょう」と言っていると思われる方も、おられるかもしれませんが、そうではありません。

何もかも「アタリマエ」ではないということに気付くことが大事なんです。

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第3章 なぜ生きる

私たちの身体は、100年ほどで限界がきますが、「」と呼ぶ部分は、死ぬことがありません・・・・・

人間が死んだ後、その肉体から、魂が離れますが、その魂は、あの世に還り、学び、転生を心待ちにしながら、待ちに待ち、機会が来て、やっと受肉し、この世に誕生しています。

由貴奈さんの詩にあったように、「何年も何年も 月日がたってやっと 神様から与えられるものだ」というのは本当のことです。

そのあたりの説明は長くなるんですが、大事なことなんで、できるだけ簡単にお話したいと思います・・・・

人が亡くなった後、魂は肉体から離れます。  ですが、すぐにあの世という世界に行くわけではありません・・・・・

行くべき世界に旅立つ前に、今までの人生の全ての行い、人に与えてきた苦痛や、愛情をすべて見る(追体験する)ことになります。

自分の行い、言動で傷つけていたとしたら、その思いを、相手を殴ったなら、逆にその痛みを・・・  相手に情けや、愛情を与えたなら、その暖かさを、受け取ります。

ウソも、逃げることも、無視することも出来ません  肉体の無い世界での感覚ですから、鋭敏さはこの世とは比べられないほどのものです。

閻魔大王と十王(じゅうおう)の前で、浄玻璃の鏡(じょうはりのかがみ)に、生前の行いを写されて、天国行きか、地獄行きかの審判を仰ぐというのは、文字の読めない人が多かった時代、悪いことをすれば、地獄に落ちるという、戒めの為のお話ですが、生前の行いの全てを見て(感じて)、さらにそれを逆の立場で体験するというのは本当のことです。

ただ、閻魔大王というような、第三者(誰か)が裁くわけではありません。

あなたの魂 自らが行き先を決めます

どんな人間だろうと、その人の心の中心にある良心は必ず存在しています。

その人が、認知症になっていたとしても、寝たきりで意識が無くて亡くなっていたとしても、その人の人生全てが記録されています。(神様の視点では、人間の一生など、ごくごく一瞬にすぎません)

肉体が無くなれば、自我(じが:エゴ)が崩壊していきます。

魂そのものになれば、言い訳も、ウソもつくことはありません・・・・  

粛々と、公正に、自分を判断・裁いていきます。

そして  自分の行くべき世界を決めて、行くことになります。

たとえ決めなくても、砂鉄が磁石に吸い寄せられるように、同質のものたちがいる世界に引き寄せられていきます。

善い行い(生き方)をしてきた魂は、上の世界に上がっていけますが、善くない行い(生き方)をしてきた魂は、その垢の重さで、下の世界(階層)へと落ちてていきます・・・・・

悪いことをしていないとしても、「私なんて・・」 と自身(自神)さえ信じれなかった人も、上がっていきませんし、自分の中の神仏を信じず、宗教など、外のモノを信じていた(大切にしていた)人も、その宗教という霊界(閉ざされた世界)に引き寄せられます。

(そのあたりのおハナシは、気が向けば記事にするかもしれません (゚ー゚; )

生きることが辛く、苦しいと言われる方も、たくさんおられるかと思います。

自分は何のために生きているのか、何故生まれてきたのかと、運命を怨んだり、悲しんだりされているかもしれません・・・

でも  それは忘れているだけなのです

生まれる前にしてきた約束を・・・・・・

残してきた執着を・・・  次の人生でこそ、絶対!断ち切りますと言ったこと

今度こそは、絶対に間違った人生を歩みませんと宣言したこと

もう二度と、人を怨んだり、傷つけるようなことはしません  優しくなりますと誓ったこと

もう一度生まれることが出来たなら、人のために生きる人間になりますと言ったこと

過去の行いを反省して、今度は逆の人生を歩み、それをすべて受け入れますと言ったこと

前世で犯した罪を、すべて償いますと決意してきたことを

辛いこと、悲しいことさえも、もっと経験・体験することで さらに成長しますと誓ったこと

次の人生こそ、人を愛せる人間に、許せる人間になると誓ったこと

人の数だけ、無数に宣言・計画してきた事柄があります。

でも  この世に生まれ出た瞬間に忘れるようにプログラムされています。

(本性が出ないと、意味が無いからです)

今が辛いということは、過去の思いをクリアするために、あなた自身が用意した課題じゃありませんか

そう  皆それぞれ違った課題に取り組んでいるんです・・・・・(そう思っている人は少ないですが)

あなた一人だけが不幸なのではありません

泣いていても、怨んでいても、暴れても、騒いでも、逃げていても、改善などしません。

短い人生、先送りして終わり   また後悔・・・・  反省・・・・・・ その繰り返しです

そろそろこの辺で、あなたの課題を返済(クリア)していった方が、よくありませんか

あの世は、同質のものたちで固定された世界ですから、成長も変化も何もできません  この世という世界は、違うものたちが混合する、雑多な世界

この世という稀有(けう)な世界  ここでしか成長(昇華)できないんです・・・・・

だからこそ  魂となったものは、神様に計画書を提出して  何とか認可されて、自分のクリアすべき課題を履修する環境が現れるのを、ひたすら待ちに待つんです・・・・

そして

今度こそは、何としても、という思いで、この世に、再び生まれて来ているのです

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第4章 あの世とこの世

あの世だの、この世だの、話がえらいことになってきましたが、大丈夫でしょうか

話しを進めます

あの人は、あんな悪いことをしているのに、あんないい生活を・・・

それに比べて自分は・・・  何て不公平なんだ  と言われる方は、この世という片側しか見ていない(信じていない・知らない)からそう思うのです。

私たちが今、生きている昼の世界が「」の世界  あの世と呼ばれている夜の世界が「」の世界

そう  陰陽(いんよう)2極が対になって存在しているのです。

月と太陽 天と地 生と死 男と女 プラスとマイナス 昼と夜 偶数・奇数 などなど

(その中間的位置のものもありますが)

この世(陽)で、したことは、あの世(陰)で必ず 厳正・厳密に帳尻が合わされます。

それは、善悪どちらに対してでもです。

悪いことをして、見つからなかった、バレなかったことも

良いことをしても、だれにも知られなかった、認めてもらえなかったことも

逃げ得、やり逃げ、やり損はありません・・・・

悪事を行えば、あの世では、この世の何倍もの負債を背負うことになります。

生きているうちに、清算できれば、むしろ幸運です・・・

ただ、この世には時間というものがあるので、時間差が生じ、自分のやったことが(因果)、自分に返ってきていても(結果)、それが、わかりにくいだけのハナシです。

肉体には限界がありますが、魂は死ぬことはありません (例外はあります)

肉体に魂が受肉し、死んで魂が離れる・・・

そうです   魂は、あの世とこの世を、行き来してるんです。

今現在生きているあなたが、昼の世界での、現在の担当者といった感じでしょうか。

魂は同じでも、同じ身体、同じ国、同じ親、同じ環境 など、もう二度とありません。

また・・この世で肉体を持てる時間は、長くても100年ほどですが、あの世では、この世のような時間の経過という概念が在りません・・・・ 

ないものとの比較はできませんが、この世の時間を当てはめると、あの世にいる時間の方が、何十年・何百年・何千年と長いんです・・・・

それだけ簡単には、また生まれることが出来ないということです。

お釈迦様は、この世にある砂1つずつに名前が書いてあって、その中から自分の砂を見つけることが出来なければ、生まれることが出来ない・・  そのくらい大変でありがたいことなんだよと言われていたそうです。

この世に生まれたこと  今生きていること  もうすでに  とんでもなくありがたいことなんです。

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第5章 生まれるということ

計画書を提出して、「再度生まれること」を、認可された魂は、魂の待機所のようなところに集められます。  そこには、大きなスクリーンのようなものがあって、地上の様子を見ることが出来ます。 

ある時 ある魂に、神様(産土神:うぶすなかみ:その土地ごとの土着の神)が、スクリーンに映し出された女性を見ながら言われました。

「この女性に、近々赤ちゃんが生まれるが、この夫婦の環境だと、君の計画に合う人生を送れそうです  どうしますか」  と・・・・

魂は、「やったー!!!!」と言いたいところをガマンして、「ぜひお願いします」と言いました。

魂は、長い時間、待ちに待っていた順番(チャンス)が巡ってきたことに大喜びして、スクリーンを食い入るように見詰めます・・・・・

「この人が、お母さんになる人か・・・  やさしそうな人だ・・・」

「お父さんは、この人か・・・ 」

お母さんは、まだお腹に赤ちゃんが出来ていることに気付いていないようです。

「お母さん、転ばないでよ」 魂は、心配です。

魂が定着できる大きさに育つまで、魂は、色々なことを上空から見ています。

胎児は、魂が定着できる大きさまで無事育ちました。

神様は、にっこり微笑んで、「さあ 行ってきなさい」と、神様の火種(ひだね:神様の分霊)を心に宿してくださいました。

人は、生きている限り、どんな人でも、神様の分御霊(わけみたま:つまり神様)を心に預かっています。(人種や性別、宗教や、信心・無信心は関係ありません)

魂は、待機所から伸びた滑り台のようなラインを使って、お母さんとなる身体にするりと入っていきました。

世間では、子供は親を選べないと言いますが、そうではないようです・・・・ たとえ、あまりよろしくない親だとしても、それはそれで、納得ずくで生まれてくるんです。

滑り台と表現していた、ラインは、霊線(れいせん)と言って、家系ごとに、ご先祖様~神様と繋がっています。

ご先祖様(両親)が存在しない人は、一人もいません  妖怪人間のように、試験管やフラスコから発生した人は一人もいないからです

(死んだ後は、逆に、この霊線を使って、あの世に還ります。 その時は、ご先祖様が迎えに来てくれています)

今生きている あなたは  肉体という実体のある、家系の最先端であり 代表者でもあります。 (兄弟がいたとしても、生きていれば、それぞれが家系の代表者です)

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第6章 自分を守ってくれている存在

今度は、器(うつわ)である、肉体の方のお話をしておきましょう・・・

この夫婦に名前が無いと、説明しにくいので、この夫婦の姓を、仮名:山田さんとします。

それで、この夫婦が、あなたの両親だったとします。

この山田という姓、古くは屋号や、名前だけになるのですが、ご先祖様が誰一人欠けることが無かったから、あなたは、山田氏(うじ)という家系から、今の肉体を借りることが出来たんです。

あなたには両親がいますが、その両親にも親はいます。 そのまた親にも両親が・・・・というように、ご先祖様が連なっていき、先の先には、なんと神様の世界(領域)にまでたどり着きます・・・

でも ご先祖様や、縁ある方の中には、残念ながら、苦しんでいたり、悩みの中にいたり、恨みを抱いていたり、執着を手放せずにいる霊体の状態にいる方(つまり成仏されていないということ)や、地獄などで苦しまれている魂や、何千年も自らを罰している魂や、生まれることの出来なかった水子さんなどがおられるわけです・・・・・

そういう霊体や、不安定な心境の魂が多ければ多いほど、今生きている子孫である、あなたにも、何らかの影響を及ぼしていく可能性があります・・・・・

うちは、ちゃんとお寺さんに毎月供養してもらっているからとか、お経を毎日あげているから大丈夫って言われるかもしれませんが、そうではないんです。

亡くなった方のことは、お坊さんや神職・神父がやるものと思っているのでしょうが、残念ながら他人では、苦しまれているご先祖様に、伝わることはありません・・・・・

(家庭ごとの、各宗派などの通常の法事を否定しているわけではありません)  

なぜ伝わらないかですって??    はい 他人では 霊線が違うからなんです・・・・・・

では  どうすればいいか ですが  

家系の最先端である、生きている私たち子孫が、感謝の念(感謝の思いやり)を送ってあげること、見えない存在であるご先祖さまのための思いやりの行動をすることです。

思いを伝える場合、どんな言葉でもかまいませんが、お経や祝詞、聖書の一説などは避けて、普段使う言葉で感謝の心(あなたなりの気持ち)を伝えてください。

その際は、おじいちゃん、ひいおばあちゃんとか、お名前など、対象を限定されず、平たく、「ご先祖様」そして「ご縁ある諸霊の皆様」などという、ひとくくりにしてください。

水が上から下に自然と流れていくように、必要なところに、感謝の思いが届きます  限定されると、そこにしか流れません。

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目の前まで来ているものに手が届かないほど悔しいことはありません 見えない世界のことは、見えない世界の摂理に任せましょう。

ご先祖様の中には、成仏されておられない、水子(みずこ)さんも、たくさんおられます。

生きたくても生きられなかった  生まれることが出来なかった・・・・・・

お乳を吸うことすらできなかった・・・  食べたくても食べれなかった・・・・・  

このような霊体は、生きている私たちがうらやましくて仕方がないのです。

名前すら付くことがなかった霊体  生まれてすぐに亡くなった霊体・・・

この世に未練がありすぎて、成仏できない・・・・  こんなことは、何処の家系でも普通にあることです。 昭和あたりになって、ようやく、子供のうちに死ぬことが少なくなりましたが、江戸時代やそれ以前は、それが普通でした。

だから、今回の相談記事にあったように 冗談でも「死にたい」なんて、絶対に言っちゃダメなんです・・・・・・・・・

そんなことを平気で言っていたら、運気が落ちて当然のことです・・・・・

心にお預かりしている 神様がやせ細り、自分自身の細胞も、自殺を選び(ガンなど)、ご先祖様も応援することが出来ません・・・・・

成仏できない霊体が、家系の霊線にたくさんおられますと、詰まりが生じて、安定したご先祖様の加護も受けられないんです・・・・・

そういう家系の方には、精神的な病気などや、様々な臓器、器官の機能不全や不調

お子さんの、精神的発達など、さまざまな影響を及ぼす可能性が多いと思います。

でも、ご先祖様だって、子孫であるあなたを苦しめたいとは思っていません。

ですが、霊的世界にいる以上、頼れる(救える)のは、この世に生きている子孫である「あなたしかいない」からです・・・・・・・

イタズラや、悪いことのサインを送ったりして、気付いてくれるようにしているかもしれません。

そういう霊体も多数おられるんだと、意識して、感謝の気持ちを送ってあげると、応援してくれるようになります。

それでも、どんなにおかしなことが起ころうが、間違っても霊能者などに頼ってはいけません

「見えない世界を売り物にして、対価を得る」このことは、霊的世界においては、重罪です。  無料であってもダメです   近寄ってはいけない人間です。

逆に霊的垢にまみれます  

お金を払って、肥溜め(こえだめ)に浸かって喜んでいるのと同じです。 ┐(´д`)┌

二人兄弟で、兄が先祖供養してくれているから、自分は何もしなくても大丈夫と言われる方もおられるかもしれません。

確かに、兄弟ですと同じ家系の霊線です。  兄が先に先祖供養をしていたのなら、その分、家系の霊線に迷う霊は、数学的には少なくなっていきますが、兄も弟もそれぞれ別の宇宙を持っていて、兄の中のAという霊は成仏していても、弟の中のAという霊は成仏していない状態にあります。 1+1=2にならないのが あの世という世界です

「誰かが代表してやればよい」というわけにはいきません・・・・・・・

また  安定したご先祖様と言いましたが、安心境地(つまり感謝の気持ち)で亡くなられたご先祖様が、家系  今回の例では山田家の霊線、肉体をお借りしたお礼として、子孫を守ってくれているのです。

これが、守護霊さまです・・・・・・

正神は、人間に手を貸すことはできませんが、守護霊さまは、先祖とは言え、親の立場になりますから、そっと蔭からサポートすることを許されています。

神社仏閣でお願い事をして、その願いを叶えてくれるとしたら、それは神様ではなくて、守護霊さまであるご先祖様ということになります。

守護霊さまは、ほとんど感謝されることも無いのに、子孫の縁を結んだり、生まれる前の約束(自分が出した課題)を果たせるように、場面をせっせと設定してくれています。

子孫が間違いを犯そうとした時も、必死で止めてくれています。

なのに、努力もせず、効き目のありそうな神社仏閣を探して、イキナリ 「神様 、○○お願いします」では、守護霊さまをはじめ、ご先祖様たちはガッカリ・・・ 疲弊するばかりです・・・

先祖なんて知らんし、お世話なんて絶対イヤやけど、貰えるモンは欲しい  早よクレっ!!

困っている、自分に関係する存在を、助けもしないで、身勝手なおねだり(祈願)をしていては運気など上がりません、改善もしません。

あなたの善い行いという磁気日々の感謝の量が増えていけば、家系の霊線上におられる、苦しみ迷う霊も、次第に成仏されていきます。

そのうち、ご先祖様や、縁ある諸霊の方々のために行っていたことが、いつの間にか、自分に帰ってきていることに気が付くかもしれません・・・・・

それは、同じ霊線上に、自分もいるからです   そう  他者のためにやっていたことが、実は自分のためだったということです。  

まあ 死んだらわかります ( ̄+ ̄)

特に、独身とかで、自分の死後、だれもお世話をする人がいないような方は、生きているうちに、自分のためにも、たっぷりと善徳貯金をしておくことです。

この世のお金が、大事じゃないとは言いませんが、あの世で、善徳貯金が無いことは、この世の何倍も何百倍も、悲惨で恥ずかしく、辛いことになります・・・・・・・・・・

あなたは、毎日何気なく暮らしているのかもしれませんが、毎日 「因果」 を創っている最中です。  未来は何一つ決まっていません。  一日一日の積み重ね  あなた自身が創っていくものです。

よい因果・・・・・  日ごろの感謝と善徳貯金をすることです。

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第7章 自分の身体

自分の身体だから、文句は無いだろうと思われていた方もおられるかも知れません

でも  ここまでの話しで、自分の身体でさえ、借りているんだということがナントナクでも感じて頂けたでしょうか・・・

まだ、あまりピンと来ない方もおられるかもしれませんので、ちょっと違った見方をしてみたいと思います。

夏まつりも終わりましたが、お神輿(おみこし)を思い出してください。

飾りつけがされていないお神輿を、裸神輿(はだかみこし)と呼んでいますが、これには神様の神気を遷す、神遷し(かみうつし)がさてていない状態です。

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飾りつけがされているお神輿は、すでに神遷しがされて、神様が移乗されている状態です。

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それを人間に当てはめると・・・・・

まだ発育中の未熟な胎児の時が、裸神輿で、生まれる直前の赤ちゃんが、飾り付けられた、お神輿の状態となり、神様の神気が遷った、つまり神様をお預かりした私たちの姿ということになります。

人間は、生きていれば誰でも  もう既に神様と一緒 二人三脚なんです

赤子の頃は、無垢で、自我がほとんどありませんが、成長するにつれ、自我が芽生え、大人になるほど、「自分さえ良ければヨシ」 という感覚になります。

この自我(エゴ:われよし)が積み被さっていけばいくほど、心の神様を、岩戸に閉じ込めていきます・・・・・・

そうなると、悪いことでも、気にならなくなっていきます・・・・・・

あの世では、あれ程「今生こそはやり直す」と誓ってきたのに、今では逆恨みしている方も実は多いんです・・

自分の身体を大切にしない人は、無意識で、「復讐している」とも言えます・・・・・ヾ(.;.;゚Д゚)ノ

暴飲暴食、過度の飲酒、喫煙、薬物、自傷行為、自殺、暴走行為、危険行為など、自分の身体を危険にさらす行為・行動は、いくらでもあります。

もう一度言いますが、身体は借り物です  お借りできたことに感謝して、大事にキレイに大切に最後まで使わせていただいて、お返ししましょう。

その時が、お預かりしていた神様とお別れの時です。

生まれた時に預かっていた神様が、年をとっても、そのまま同じ神様という訳ではありません。

その人の、人なり・行動・善徳貯金の量によって、同質の神様に変わっていきます。

人によっては、どんどんグレードダウンしている場合もあれば、どんどん輝きを増していく人もいます。

赤子神(あかごかみ)を、翁神(おきなかみ)に 共に育て お返しするということも、生まれてくる目的の一つです。

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第8章 善徳を積むということ

善い行いといっても、 「何をすればいいかわからへん」 と言われる方もおられるかもしれません・・・

大それた事を、イキナリはじめからしようとしてもムリですし、続きません・・・・・

家で考えていても、ダメです  たとえ他人のために、祈っていたり、お経を上げていたとしても、善徳は積めません・・・・

自分の生活の中で、少しずつ視線を広げていけば、必ず見つかります。

自分の与えられた生活の中(舞台:ステージ)でということが重要です。 (人里離れた環境で、何千年山篭りしていても、ダメなんです)  

まず 懸命に生きること それは、自分も他人(自然や生き物、見えない存在)も大切にするということ

そして 見返りを求めない行動が大事です。

でも・・ それって、偽善じゃん  と言う人も、そう思う方もおられるかもしれませんが、それでも続けることです。  

キッカケは、モテタイとか、いいカッコしたかった  でも構いません。

続けていれば、そんなことは、どうでもよくなってきます。

そして   いずれ本物になっていきます。

先祖供養にしても、普段の言葉で「感謝の供養」を続けられているのならば、それは、ご先祖様に通じているという証拠です。

先祖を供養するという行為も、大きな善徳となります。

失敗しても、不恰好でも構いません  誰も認めてくれなくても、褒めてくれなくても

あなたの、心の神様、守護霊さま、ご先祖様はちゃんと知っています。

正直(真面目)に生きることは、カッコイイことです。

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第9章 自殺をすればどうなるか

今が辛くて、いっそ死んだ方が楽かもと思われている方も、以前そうだった方もおられるかも知れません

自殺したらどうなるかを、お話しておきたいと思います。

自殺した人が亡くなると、肉体から魂が離れ、正気に戻ります・・・・・

ほんの少し前は、自分と認識していた身体(肉体)が横たわり、ちょうど斜め上の上空から俯瞰(ふかん)しています・・・・・

最初は呆然としていますが、過去の記憶が走馬灯のように流れ、自我が崩壊していくにつれ、ことの重大さに気が付きます。

残された家族や、友人知人、楽しかった思い出、まだ小さかった頃のこと、母親のぬくもり・・・

そして 自分の中にお預かりしていた、神様を殺してしまったこと・・・・・・・

そして 生まれる前の約束も、思い出します・・・・・・・

何という浅はかなことを、してしまったのだろう・・・・・

戻れるものならば、時間を戻してください  夢ならば覚めてくれっ!!

いくら叫んでも  もう  どうすることも出来ません

そして、自分を裁く時がイヤでも来ます

自殺した魂は、一部が欠けています。

これは、人間の心の中心にある、神仏がおられた場所が壊れたからだと思います。

そして、魂自体が縛られ、鉛のように重く、自由度が無い、動けない状態となります。

その後  その魂は、霊的階層をどんどん下に沈んでいき・・・・・・・・・・・・・・・・・

時間の無い孤独な世界で、苦痛と苦悩と反省をすることになります

身体の無いあの世の世界では、この世の何百倍・何万倍と辛いことです・・・・・

「楽になりたい」「逃げたい」「終わらせたい」と思った、発作的な結果とはいえ

楽になるどころか、自殺の原因になった事柄の、何万倍の時間を、苦悩することになります・・・・・・・・

どんなに辛くても、生き切ることだったんだ  何と愚かなことをしてしまったのか・・・・

死んでお詫びをするとなど・・ 間違いだった 生きて償うべきだった・・・・・・

とんでもないことをしてしまった・・・・・・・・・・・・・・

神様お許しください・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

など     どれだけ後悔しても、後の祭りです・・・・・・・・・・・・

再度転生する可能性はありますが、まずは、魂(自分自身)が許す(納得する)かどうかです。

自分を裁き、反省し、許すことができたとしても、恐ろしく長い階段(霊的階層)を昇らなくてはならず、自殺した魂が、再び転生することは難しいようです・・・

自殺して、この世から逃げても、あの世では逃げ切ることは絶対に出来ません。

どんなに辛くても、惨めだと思ったとしても、自分がお預かりした神仏を守り、最後の最後まで、生き抜くことが大切なことです

私たちは、昇華できなかった課題を、何度も生まれ変わり、クリアしようとしています。

課題は生まれる前に、自分自身で計画して、努力すれば乗り越えられる、ギリギリに設定されています。(欲張って、困難な設定にしていることすらあります)

いざ生まれ変わると、そのことをキレイに忘れ、「自分だけがどうして」「自分は運が悪い」と、自分の外に問題があると勘違いしがちです・・・

誘惑に負けたり、道を踏み外したり、暴力などに耐えかねて

「もう死んでお詫びするしかない」 「もう死ぬしかない」 「もういいや」 と 発作的に自殺してしまうのかもしれません。

ですが、自殺さえしなければ、何とかなります。  

この世には、時間という、あの世にはないものが存在しているからです。

頑張って、頑張って、努力したけれど、我慢に我慢を重ねたけれど、もう心が折れそうだと言うのなら

仕事に殺されるようなら、辞めればいいです  学校に行って自殺するくらいなら、行かなくていいです。

ネコ三昧は、そう思います。

与えられた人生の意味を学び、苦しくても、明るく、正しく、努力して生き抜くことが出来たのならば、それだけでも、あの世では、成功者です

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第10章 まとめ

今回は、新聞の相談記事から、命とは、生きる意味ということについて考えてみました。

かなり重い内容でしたので、どうかなと思いましたが、たまにはいいっかと・・・・

神社仏閣で、長い時間お願い(祈願)している人をよく見かけます。

お願いすることが悪いことだとは言いませんが、もしその願い一つが叶ったのなら、終わりでしょうか

いえそんなことはないでしょう

一つ問題が解決(叶った)としても、次の問題が出てきます  そしてまた お願い・・・・・

それでは、いつまでたっても、キリがなく、幸福感も得られません・・・・・

松下電器、現在のパナソニックを妻と弟の三人から創業された、松下幸之助さんも同じことを言われていました。

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感謝の心が人生を豊かにする

人間はどんなに力んでみたところで自分一人では生きられないのです。 周りのすべての人、すべてのもののおかげで生きているわけですが、それをありがたいことだと思える人と、あたり前だと考える人がいる。 あたり前だと思う人は、その瞬間から荒涼殺伐(こうりょうさつばつ)とした争いのなかに身を投じることになるでしょう。 やはり物事に対して感謝することは必要だと思います。 私は誰の世話にもなっていない、だから頭を下げる必要はない、といった考え方は滅びの道に通じると思います。

松下幸之助 人生をひらく言葉   PHP研究所 より

最後に、もう2つの詩をご紹介したいと思います。

病気           藤本一宇 (中学三年)

この病気は

僕に何を教えてくれたのか

今ならわかる気がする

病気になったばかりの頃は

なぜ  どうして

それしか考えられなかった

自分のしてきたことを

   ふりかえりもしないで

けどこの病気が気づかせてくれた

僕に夢もくれた

絶対僕には

病気が必要だった

ありがとう

病気

この病気になって四ヵ月

いつになったら

退院できるのかなあ

でも この病気は神様が

くれたものだ

僕がこの病気に

ならなかったら

きっと

悪い心の持ち主だったろう

ありがとう神様

僕を救ってくれて

電池が切れるまで 子供病院からのメッセージ すずらんの会編 より

藤本一宇さん

私は入院中、病気に苦しむ子供たちを必死で看病する両親、暖かく、手厚い看病をしてくれた先生や看護師の方々、そして院内学級の先生方に出会いました。 先生方は、いつも明るく笑顔で接してくれました。 そのような幸せな環境の中で私は多くの夢をもらうことができました。 「小学校の先生になりたい」。 退院するころ、そう思うようになっていました。 いくつかの別れを経験しました。 「命」。 当時、毎日のように一緒に遊んでいた七人の友だちとの別れ。 会いたいと思っても、笑顔が見たいと思っても・・・・・・、もう、彼らに会うことはできないけれど、何もしてあげられないけれど、七人分、一生懸命生きようと誓いました。 それが今の自分の目標です。 平成十四年、私は小学校の先生になるための勉強をしています。 自分が何をしているか分からないときもあります。 でも、こども病院での出会いと別れを忘れずに生きていこうと思います。 病気を経験して、生かされて、生きるという言葉、本当にその通りだと思いました。

子供たちと共に より

藤本一宇(いちう)さんは、初め物が二重に見え、その後、動けなくなり、脳腫瘍と診断され

10時間以上に及ぶ摘出手術を乗り越え、院内学級に入られました。

当時最年長だった一宇さんは、手が足らなかった先生のかわりに、小学四年生の男の子に必死で算数を教え、「わかる」と笑顔で答えてくれたことが、涙が出るほどうれしかったそうです。

その体験から、小学校の先生になると決意されたのだと思います。

退院後、短大で小学校と、幼稚園教諭の免許を取得、さらに上を目指して、四年制大学に編入されたそうです。

現在は、どこかの小学校で、頑張っておられることでしょう。

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まとめ  でしたが  まとまりませんでした   が・・・

もう どうこう言う必要はなさそうですね・・・

て・・ ことで・・・・・  

このへんにしたいと思います。

一日一日を大切に 感謝して 生き切りましょう

文中の画像 水汲みと、シャンパンの2つはネット上からお借りしました

おしまい

    

2013年12月16日 (月)

神社仏閣に参拝するにあたり16(御神籤編)

気が向いたときしか書かない、神社仏閣に参拝するにあたりシリーズですが、平野郷とは、ほとんど関係の無い記事ですので、平野郷で検索されて、この記事がトップページの場合は、横のカテゴリーから、お好きな記事を選んでくださいねぇ~

では

新年も近いことですので、御神籤(おみくじ)について、ちょっと書きたいと思います。

御神籤を引く場合、判断したいことを一つに決めて、心を落ち着けましょう

決して、大吉 大吉などと、念じてはいけません

そして  大吉でも  大凶でも  気にしないことです

??   それでオワリ  はい  これだけです

大吉が出ようと、大凶が出ようが、気を引き締めていけば、それでいいということです。

良いことばかり続きませんし、逆に、悪いことも続きません・・・

大吉だと、安心して浮かれていると、悪いことが起こったりもしますし、大凶だから、慎重に気を付けていると、それが、後に大福になったりすることもあります。

だから、気にすることは無いということです・・・

天気と同じようなもので、晴れ日もあれば、雨の日も、曇りの日、台風の日もあります・・・

普通の人は、雨を嫌いますが、農家の人などは、雨がいい天気ということもあります

そう  受け取り方と、意識・行動次第ちゅうことでんなぁ

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でも  これだけじゃおもしろくないんで、続けます・・

神社仏閣で引いた御神籤を、境内にある木に結ぶ人が多いようですが、どうしてでしょう

はい  境内の木々の生命力にあやかるという意味合いがあるようです

良い内容は、さらに良くなるように  悪い内容も、昇華するように

でも木々にとっては、迷惑なハナシやから、各所定のところに結ぶとエエでしょう。

持ち帰っても構いません  Σ(・ω・ノ)ノ

でも、大吉だから多少無茶しても大丈夫  というような材料にするようですと、逆に良くないことが起こったりします。

では、御神籤と違って、占いならどうなの  という方もおられるようでしょうから、そのあたりのお話をしていきましょう。

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占いにも色々と在るでしょうが、基本は統計学によるものが多いと思います。

でも  占いは占いです  これも気にすることはありません

とは言え  一度聞いてしまうと、気になってしまうものです・・・・・・・

本当のところは、正しい・正しくないは別にして、一度情報としてインプットされると、潜在意識に取り込まれて、気付かぬうちに良くないほうに進むということが多いということのようです。

本当は進むべきところを躊躇したり、別の道(選択肢)を選んでしまったり・・・

占いをする人によっては、背後の霊的存在の力で、良くない方向(占い師の言った通り)に導かれる場合があるので注意が必要です。

そういう場合の多くは 術者が、霊的存在を使役していたりしますが、本人もそのことに気付かず、よく当たる占い師だと評判になっていたりします・・・

そらぁ  言った通りになるように、術者の背後の霊的存在が導いてるんやから、能力がある  よう当たると勘違いするわな・・・・

気付かずとは言え、良からぬ霊的存在を使役すれば、100倍返しで取立てが来ます (笑)

お客側も、無事ではなく、霊的な傷を負っていることになります・・・・・・

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自分の中に、太いがある人は、「はぁ  そうでっか」で済みますが、柱が無い・細い、砂地に柱を建てているような人は、心が 不安 になりなす。

柱の無い人は、他のモノに頼る、すがろうとします

そして不安から、柱のあるべき部分・育てるべき部分を別のモノで埋め、繕おう、誤魔化そうとします・・・・

スピリチュアルカウンセリングだとか、いくら他人が知り得ぬことを言い当てられたとしても、あなたの人生が好転することはありまへん・・・・

なぜなら  神様・仏様や他の霊的存在・スピリットなどの目に見えない存在を宣伝文句にしていたり、見えないものに対して、金銭や時間・その他のエネルギーを奪う行為は、正神とは真逆の行為だからです・・・・・・・

仮にそれが正しい情報だとしても、その人が、自分の人生の中で、自ら気付き、自分で課題に取り組み、その壁を乗り越えないといけないことなんです。

他人から得た情報で、何とかしようとする。。。。。。 これでは、学び・成長は出来ません・・・

みんな生まれる前の世界で、「今回の人生こそは、必ずクリアして見せます、成長します、もう二度と繰り返しません」 と約束したからこそ、生まれることを許されてんのにね・・・

情報を教えるっちゅうことは、その人が、「学び、気付き、成長する」と  今生で果たすと約束した大切な機会を奪うということなんです・・・・

正神はそのモノを許しません・・・・・・・・

スピリチュアルだなんだと、見えないものをネタに商売している人は、能力が無いからこそ出来ると言えます・・・・・ (無料だとしてもダメです)

だからこそ、お客が喜ぶよう、リピーター(いいカモ)になってくれるように、親身にハナシを聞いてくれて、注意し、それらしく指摘してくれてるんス(笑)

「私は違う」という方がおられるかもしれませんが、正神の御用をされてる方で、スピリチュアルで商売している人は一人もいません・・・・・

そういう人は、社会の中に紛れて、決して表に出たりしません・・・

縁ある人で、すでに課題はクリアしているのに、あと一歩が踏み出せない人などを、後ろからそっと後押ししたり、それでも悪さをしている霊的存在をそっと祓ったりします。

ですが、本人にも、誰にも教える、知らせることはありません

何の見返りも求めることがありませんから、知ってもらう必要がないんですね。

スピリチュアルを宣伝している人は、低い次元の霊的存在に繋がっている・交換条件により霊的存在を使役している・知らずに憑依されている  または 全くの詐欺 あるいは 自分はスゴイ、能力があると思い込んでる妄想族 勘違い野朗  そんなところです

あれ だんだん  ハナシが、またそれてきたぁ??・・・

まあ  エエお客として マーキングされんようにね

カモにされるんも、自らの縁やなんやけど  かかわらんのが一番ですワ

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話を戻してっ  と  ・・

以上  「御神籤の内容は、気にしない」ということでした。 (・oノ)ノ

上手くいかないのは、まだやり尽くしていないから

という気持ちを持っていれば、内容なんかどうでもいいし、占い師や、霊能者など、他人にコントロールされることはありまへん。

目の前の小さなことから、真面目にやっていくことです

そして、次のステップとして、小さなことでも構いませんから、今の自分に出来ることを、愛する人のため、誰かのため、他の存在のためになることをして差し上げましょう

今がどんな状況であっても、生きていられるということだけでもありがたいことであり、決してアタリマエのことではないんです

人間て、愚かやから、失ってから、大切さに気付くんやのぉ・・・

アタリマエのことなんか、一つもあらへんのに

無くす前に、感謝していくことが、大吉となる近道ですワ

当然 前に進めば、上手くいかない・良くないことが起こります

でもそこから逃げる・避ける・見ないようにするちゅうことは、学び・成長する気がないということで、どんどん良くないことが大きな問題となって立ち塞がってきますワ

チャレンジせぇへんっていうんは、今回の人生の目標・目的から外れる行為やさかい、どんどん生命力も、エネルギーも枯渇してまうんです。

心に穴が空いてるように、スキマ風が抜けるようです

そこで、神仏におねだりしたり、すがりついたりします お札や、お経、真言、呪文、聖典、聖書、スピグッズ、宗教などで埋めようとします。

たとえガラクタであっても気が付くことはありませんし、手放すこともできません。

こういう人は、不安感・不足感でいっぱいですから、手放すことが出来ません

失うことが本当に怖く、嫌なんです・・・・

でも  不安なんは、信心が足りないからだとか、もっといいモノがどこかにあるハズだと考えてしまうんですワ

ご先祖様(守護霊さま)も、応援のし甲斐がナイわぁ~・・・ ( ´ω`)ブワッ

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このシリーズの最初からお話しているように、神社仏閣は、祈願所やないんです

御利益をもらう  パワーをもらう  もらう=奪う  そういう気持ちがあるうちは、本当に大切なものは入ってはきません

神社仏閣とは、外の神霊に、自分の中にお預かりしている神霊(魂)の成長した姿を見せ、報告し、感謝を奉納する場所です

外の神霊は、あなたの肉体を見ているわけではありません

魂の輝き  純粋さ  成長を見られています  

ウソや誤魔化しは通用しない次元の世界です

神社に行くと身体が重くなる」的な内容を、検索ワードでよく目にしますが、こういう方は、神社仏閣に、何かいいモノがあれば 欲しい欲しい欲しい欲しい という人なんです

神社仏閣には、我良しの願い、良くない願いもする人だって来ます・・

祓いが適正にされていない(間に合わない)所では、そんな邪気も渦巻いていることがあります

それすら「欲しい」って持って帰ってるんやから、重ぉなっても当然ちゅうこっちゃ (*≧m≦*)

正神は、何も くれません  話しかけてくれるどころか、感じさえしません

お願いされて、くれるような存在は、正神やのうて、交換条件で動く、霊的存在だけです・・・

何もくれなくても、見えなくても、感じなくても、それでも感謝のみを奉納することが正しい参拝といえます。

あ~  重い内容になってきたぁ~ このシリーズは重いワ・・・ 

興味のない人は、他の記事を見てね  

おしまい

おまけ

分岐点で、どちらに進むべきかと悩んだとき

他人の意見や、占いや霊能者の意見で、選択したとすれば、少し良くないことが起これば、あの時、○○の言うことを聞かなかったらこんなことにならなかったのにぃ~と  なることでしょう

どちらの道を選んだとしても、自分で調べ、納得し、決めて 進んだとしたら、それは正しい道です。

たとえ、表面上、社会的には、上手くいかなかったり、良くないことだったとしても、必要だったから起こったことということです。

別の道を行ったとしても、同じようなことが起こったハズです。

文句を言ったり、怨んだり、他人や、社会や、物のせいにしていると、さらに大きなものを失っていくことになります。

失敗したのも勉強  失ったのも勉強  次を頑張ろう と考えれる人は、いずれ大吉を手に出来る人です

 

2013年9月15日 (日)

神社仏閣に参拝するにあたり15(不平不満編)

「神社仏閣に参拝するにあたり」というシリーズは、平野郷とは、ほとんど関係の無い記事なので、平野郷で検索されて、トップページに表示されたら、その他のカテゴリーを見てくださいまし

たぁまぁ~にやるシリーズなんで・・・  ご容赦ください 

では

私たちは、普段何気なく、不平不満を言ったり、良くない言葉を使ったりしますが、それって、よくないことなんでしょうか??

「良くない言葉」「汚い言葉」を使うと、周りも嫌な気分・雰囲気にさせます・・・

例えば、「ばかやろう」と言った言葉には、実は、その言葉に、悪意や恨み・悲しみ・呪い・攻撃などのエネルギー(念・思い)が乗っています・・・・

昔の人は、言霊(ことだま)と言って、言葉に魂が宿っていると考えて、よい言葉使いをしたもんですが、それって本当なんです。

汚い言葉には、汚い波動(念)、美しい言葉には、キレイな波動(念)が宿ってるんです・・・・・  

余談やけど、観える人には、汚い言葉はトゲトゲやベトベトが観えるんやて・・・

ちょっと昔の本ですが、「水は答えを知っている」って本があるんやけど、水を氷結させて、結晶を撮影するんですが、「」・「感謝」などのキレイな言葉を印字した文字を見せて氷結させると、キレイな結晶になり、「ばかやろう」などの汚い言葉を印字した文字を見せて氷結させたら、崩れて結晶化できないのが掲載されてあります。

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左画像は「ありがとう」 右画像は「ばかやろう」の文字を見せて氷結したもの

「ありがとう」どこの国の言葉でも、きれいな結晶になるけど、「ばかやろう」はどの言語でも、だいたいこんな感じやそうです・・・・

文字を見せるのではなくて、言葉をかけたのもあります

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左画像は「かわいいね」 右画像は「ばかやろう」と小学生が声をかけたもの

もちろん同じ水です・・・・・・・・

科学的には、こんなことはありえないっていう人もおられることでしょう・・・・・・

世の中には、眼に見えることしか信じない人や、そういう学問もあるから仕方ありまへん・・・

でも、トリックなしに、事実として起こることだと思います

科学的には、ナンセンス  でも霊的考察では、起こり得る こんな感じやと思いますワ

ここでは、そういうことも在り得るという観点でハナシを進めたいと思います

ほとんどの方は、何か悪いことや、問題が起こると、それを、他のこと  つまり自分以外の外的要因によるものとして、心配し、悩みます・・・

たとえ、それが自分に原因があるのかもと考えれる人でも、過去生に何かあったのか、何かの祟りや、何かのバチがあたったのかと考える程度です・・・

ですが  大抵そこには問題があることは、少ないです

ほとんどの場合は、普段の生活・・・  もっと平たく言えば、今までのあなたの生き方、考え方、思い癖など、今のあなたに問題があると言えます・・・・

最初のお話でもありましたように、悪い言葉、汚い言葉を使うと、結局自分に還ってくるんです・・

じゃあ  言葉には出さずに、頭の中だけで、 「怨んでやる~」 と呪うのは大丈夫かと言いますと、そうではないんです・・・・・・・・・・

確かに、頭の中だけで、殺してやるぅ~と暴れた(妄想)としても、罪にはなりません・・

でも、人間の思考・思念というのは、強力ですから、考えるだけでも、言葉を発する以上に、効果が出る???んです・・・・・・

最初のお話では、水を氷結させた結晶でしたが、人間の身体の中でも同じようなことが起こっていると思います。

怒りや、悲しみは、簡単にDNAや細胞を傷つけます・・・・・

例えば 怒りは、ガンとなり  コントロール不能となり、やがて暴れ回ります

悪い思考は、結局自分に還ってくるんですワ・・・  ただ  時間差があるんで、いつ還ってくるはわかりまへん

生きてる間に還ってきたら、まだ上書き修正することはできますが、死んでから帳尻合わせとなったら、上書き修正することは、できまへん・・・・・・

ほとんどの場合  悪い影響を及ぼしているのは、他の存在やのうて、過去の自分やったということです

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過去に問題があったとしても、現在   生きているのはあなた自身です

主役は、過去の自分では、ありません   過去と和解して、今を生きることです

現在の連続が、未来です   今 やらないその延長線上に、そのものはありません   

種を植えないのに、収穫だけを願うことは滑稽なことです

他から奪おうとする人は、努力せず(種を植えず)空から、ぼた餅が落ちてくることを望みます  ぼた餅が落ちてこないことを、周りや、他人、社会や神仏のせいにします・・・

そういう人は、自分のことしか考えられなくなっているか、今生きていられていることも「アタリマエ」と感じています・・・・・

誰かが何とかしてくれるのを待つ・先送りして見ない事にする・逃げる・他人の責任にする・オレが、私が  してやってる  これが  自我(エゴ)の正体です

御蔭様でこの世は回っています  光が当たらない存在の御蔭で、生きられているんです  この流れ(神仏・自然の意思)に、反抗すると、問題が起こります

そら  問題 起こって当然やろっ ちゅうハナシです

どんな状況・立場であっても  「ありがとう」という感謝するエネルギーを自分から出すこと、そして 行動することです。

お話としては、理解できても、実際にやらなければ何の意味も持ちません

この世は、あの世と違って、現実の次元ですから、行動しないことは、ゼロなんです  どれだけ祈っていても、考えていても、たった一つの行動に勝つことはできません    

現実界は、そういう次元なんです

できない人ほど、馬鹿にして笑います やらない人ほど、無理だよと言います

頭でどれほど考えていても、祈っていても、期待しても、お願い(祈願)しても、ダメなんです  努力して努力して、身体を動かして、ふと頭を空っぽにした時に、新しいものがひらめく

それが  「創造」  です

よく、空からアイディアが降ってきた  うつらうつらしている時に、ふっとひらめいた  動物や、自然物を見ているときに、思いついたとか聞くでしょ

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ここで、誰もが知っている、昔話 「かさじぞう」 

ある雪深い、山村に住む老夫婦がいました  大層貧乏で、大晦日というのに、米や餅を買う金すらありません  それでも、何かの足しにと、自分で編んだ菅笠(すげがさ)を町に売りに出かけます  ところが笠は一つも売れませんでした  やがて吹雪いてきたので、仕方なく、持ってきた笠五つとも持って帰ることにしました  「米や餅を買ってくると言ってきたのに、ばあさまに何と言おう」と考えていた帰り道、お地蔵さんが六体 いえ小さいお地蔵さんを入れて七体おられました  頭には、もうかなりの雪が積もっています  おじいさんは、かじかんだ手で、丁寧に雪を払い、笠をお一人ずつかぶせていくのでした  「売れ残りですが、どうぞお使いください」 六番目のお地蔵さんには、自分が被っていた笠を、最後の小さなお地蔵さんには、その下の手ぬぐいを巻いてあげました  「おらの古い手ぬぐいですがぁ、洗ってますけぇ」  そして、おじいさんは手ぶらで家へ戻りました  訳を聞いたおばあさんは、「そらぁ ええことをしなすった」と、一言もおじいさんを責めませんでした  食べるものがない大晦日、寝ることにしました  まだ雪は降り続いているようです  明け方、二人は「どすん!」という音で眼をさましました  屋根が抜けたかと思いましたがそうではありません  入り口の引き戸を恐る恐る開けると、そこには、米や餅などの食べ物や、大判小判の入った瓶などが置いてあるではありませんか・・・・   雪の足跡を目で追うと、なんとそこには、走り去るお地蔵さんたちがおられました・・・・  御蔭様で、正月を迎えることができる「ありがたいことじゃ」と手を合わせ続けました

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??  なんで イキナリ「かさじぞう??

はい  ヒントが溢れているからです

おじいさんは、道端で雪に埋もれる、お地蔵さんに対し、かわいそうになり、笠をあげました

それは、何か交換条件があったわけではなく、そうしないとおれなかったのです

売れ残りの分はおろか、自分の笠、さらには手ぬぐいまで、差し出します

おばあさんは、おじいさんの行いを褒め、文句一つ言いませんでした

現実社会では、なかなか同じようなことはできないかもしれませんが、困っている存在に対し、見返りを期待せず、行動することは、すばらしいことです

他のためにした無償の行為が、実は 自分のためになったというお話でした

これは、霊的にも、真実です

まず  自分から出す  与える  ここがポイントです

多くの人は、神仏に祈願して、欲しい欲しい欲しい クレクレクレと、奪おうとします  ですが、順番は、自分から出す・与えるということです

見返りを期待してやると、他の昔話のごうつく爺さん・婆さんのようなことになります

昔話は、深ぁ~い  教訓を持たせてあるものがほとんどですワ

神社仏閣は、祈願所やおまへん  感謝を述べに行き、自分の心(預かる神仏)が大きくなったことを、お見せするために行くもんなんです・・・・・

間違ぉてる人が多いッス・・・・・  トホホ・・ (´・ω・`)

かさじぞうでも、そうなるように、自分がかけた情けが、自分に還ってくる  それがこの世界の仕組み(秘密)です

悪いことをすれば、悪いことが還ります  それを、因果応報と言います

いいことも悪いことも、キッチリ  寸分の配分ミスなく還ってきます・・・

時間差でわかれへんだけです  自分さえよければいい どうせ死んだらリセット 生きてるうちに 楽して生きる  なんて考えてると、エライことになりますワ

死後はそら 相当ツライでぇ

ほな  このへんで

おしまい 

おまけ

悪いこと言ったなぁ~  悪いことしたなぁ~  など 気付ける人は、幸せです

自我(エゴ)が強くなっている人は、それすら感じず、あいつが悪い、ボ~っとしてる方が悪い など、他 他者のせいにします

息を吸うことのように、無意識で、気付くことすら出来ないんです

悪い言葉は、悪いことを呼びます  ウンチにハエが来るようにです (お食事前・中の方には失礼しました)

過去に放った、怨み言葉(生霊)は、相手が受け取らなければ、当然自分に還ってきます・・・・

何かに取り憑かれたように、身体が重いとか言うのは、他の霊的存在が憑いたんやのうて、過去  自分が放った生霊が、べったり憑いてる場合が多いです

え゛ぇ~

どないしたらええかって??

まず、汚い言葉を出さない、放たないことです  (まず元を断つ エゴにエサを与えない)

そして、「アタリマエ」と思っていたこと、に気付き、感謝していくことです

その、プラス側のエネルギーが、汚い言葉のマイナス側のエネルギーを浄化します

愛情・思い遣り・許し・感謝のエネルギーは、どんなマイナスなエネルギーでも包み込むことができます (複雑なことは何んもあれへん)

間違っても、お祓いや、除霊や、グッズなど、他のモノに頼らんことです

2013年4月23日 (火)

神社仏閣に参拝するにあたり14(病気編)

生きていく上で避けて通れない、病気について、今回 お話したいと思います。

神社仏閣に参拝する目的の一つに、○○に効くとか、病気平癒(びょうきへいゆ)・健康祈願ということでお参りされる方が多いようですので、病気を取り上げようと思った次第でデス。

でも、スピ系のブログやあれへんから、大まかにいきまっさ

だって、このシリーズの記事  結構重たいんやもん・・・

このシリーズは、平野郷とは、ほとんど関係ないシリーズですので、トップページでこの記事が出た場合は、他のカテゴリーを選んでくださいね  では・・・

手放す

病気の裏側には、何らかの手放せないモノが隠されてあることがあります

失うと、もう二度と手にすることが出来ない、得ることが出来なという幻想(執着)にとらわれていると、価値の無いもの、たとえ病気であったとしても、手放すことが出来なくなるんです。

顕在意識では、病気は良くないもの、嫌なもの、逃れたいものと理解してるんですけど、潜在意識の中に、「もう二度と大切な人、ものを失いたくない」「騙されたくない」「奪われたくない」「蹂躙(じゅうりん)されたくない」など、過去や過去生で昇華されずに残っている思いがあると、なかなか手放せないもんなんです。

そういう人は、エエもんも、悪いもんも、ガラクタも、みぃ~んな抱え込んでるもんですワ

自分の中心にある、柱が揺れてる、もしくは、あれへんから、不安で不安で仕方ないんです

そやから そのスキマを埋めようとするんです・・・

それが、人によって、異性であったり、仕事であったり、モノだったり、宗教だったりします

病気もその一つです

失うことの怖さに比べたら、悪いモンも、ガラクタも、気にならへんのですワ

スピの先生や、心理カウンセラーモドキの先生が、「執着を手放しましょう」ってセリフをよく使いますなぁ  せやけど  ええ商売のタネにされまっせ・・・

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病気の裏に罪悪感

顕在意識・潜在意識  あるいは両方で、自分を責めることで、自分自身を罰しようとしています

過去だけじゃなく、何百年も前の過去生の昇華されていない、過ちを責め、自己攻撃をしています・・・

その手段に、病気を使うことがあるんです・・・・・・・・

自分はダメな人間だ」と自信を無くしている人は、どんどん心に預かる神仏をやせ衰えさせて、その座を、他にコントロールされるようになってしまいます・・・

やから、変な宗教や、占い師なんかは、「お前は弱い人間だ」 だから、○○神・××仏に祈りましょうなどとマインドコントロールしていくんやで・・

祈りが足らんからとか、修行が足らんとか、エエ加減な理由をつけて、深みに嵌めていくのが手口ですワ・・・・   

あれ  横道に逸れた??

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逃れる

何らかの大きな目的に対して、そこに到達しない・できない理由・言い訳として、病気を利用することもよくあります・・・

本人は、気付いてマセンけど・・・・

そういう人は、「病気じゃなかったら○○~」って大概 言いはります・・

「病気やから でけへんのですワ」って、アピールしてはんねん・・・・

病気だから ○○(出来ない理由)  ここに逃げ込んでしまいはるんや・・・・・・・・

そやから、病気もなかなか治らへん・・・  治ってもまた別の病気になったり、ケガするんですワ・・・・

言い訳する理由がなくなったら困るんやもん・・

運動会の日の朝に熱が出て、休んでたタイプは、要注意やで・・・・

病気を治して、絶対○○するんやと言う人は、病気を理由にしてへん人や

本人は、内心 諦めてるのに、周りの人のために、そう言ってる人も多いけど・・・・(悲)

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恐れと不安

恐れと不安を意識すればするほど、病気になりやすくなります

例えば  「ガンにだけはなりたくない」 と  ことあるごとに、思っていた人がいたとします

こういう人は、本当に、ガンになったりするんです・・・・

??    なりたくないって 言ってた  やんっ  !!

はい   なりたい  なりたくない は、関係ないんです・・  

ガンを意識していた  自分もなるかもって、不安に思っていた  ココなんです

人間の意志・思考・思いはものすごく強力ですから  さらっと流して、意識せんことデスワ

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恨み

恨みで病気になっていることも、よくあります

簡単に言えば、「私が病気で苦しんでるのは、すべてお前のせいだ!!」と言ってるんです・・・

「こんな不幸になったのは、お前のせいだ、恨んでやるぅぅうぅ・・

過去や、過去生に起こった事に対して、自分を傷つけることで、相手を責めようとしてるんですねぇ・・・  回りくどくて、しかもメンドクサイこっちゃ。。。

何の得も、効果もあれへんのにね   アホらし・・

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生まれる前に計画してきた場合

過去生において行った行為を、大いに反省し、今生は、その人たちの苦しみを理解するために、病気、身体のハンデを承知で生まれてくることもあります

言わば、チャレンジャーでんな・・

これとは別に、悪い行いの因果として、病気やハンデキャップを背負うこともありますワ・・・  カルマってやつです

また、誰かに気付きを与えるため、その道に進ますために、病気になること、死ぬことを計画して来ている場合すらあります・・・

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気付き

何に対しても文句を言い、怒り、他人と比較し、羨ましがり、欲しがり、不満を撒き散らしているような人は、自身のエネルギーが弱まるから、病気になりやすいんです

感謝の無い人は、自身の中にある、感謝のプログラムが自動的に起動します

感謝のプログラムとは、悪いこと良くないこと、不幸なこと、病気を起こし、失うことで、普段の生活、平凡な暮らしがどれほどありがたいことだったかをわからせるための、プログラムなんです

人間って、愚かやから、失って初めてわかるんや・・・・

早く気付かへんと、不幸の三冠王やぁあああっ

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まとめ

キリがないんで、そろそろまとめです

基本は手放す(捨てる)ということです・・

恨みや、悲しみ、憎しみは手放しましょう

誰も悪くはなかったのです

復讐・戦いの連鎖はどこかで断ち切りましょう

もう過去は終わったことです  過去に縛られるのは終わりにしましょう

そして、心の柱(心に預かる神仏・良心)を太く強固なものにしていきましょう

そのための感謝なんです  過去の自分にも感謝、現在の自分にも感謝

周りの人たち、立場、環境にも感謝です

感謝の思いは、憎しみの鎖すら溶かします

今  あなたが生きていられるのも、生きてこられたのも、アタリマエではありません  誰かの御蔭  目に見えない存在(ご先祖様のご加護)の御蔭なんです

「病気すらありがたいと思える心境になれば、それほど悪くならなず、楽になっていくことでしょう」

神社仏閣には、祈願(おねだり)に行くのではなく、感謝を奉納するということです

現状の報告と、それでも努力しますという宣言、そして  生かされていることへの感謝  なんです

おまけ

例で、ガンを出したんで、終わる前に、ガンのお話です

病気は、自分が作っています  ガンは、大きな怒りのエネルギーの塊です

ネコ三昧は、オーラが見れるわけではありませんが、ガンは赤黒い色を感じます  形はトゲトゲに感じますワ

怒りの感情は、肝臓に溜まりやすいようです  なんでかって

ようわかりませんが、おそらく、血液貯蔵庫やからかな

タレントさんにガンが見つかって、入院会見しはる時、大抵「これから戦ってきます」って言いはるけど、ガン細胞も、元々は自分なんやから、あかんやろ

不安や、怒りなんかの精神的なものと、タバコや、科学合成物質なんかを摂取してDNAを傷付けて、自分で作って育てたんや

細胞クンも、好きで、ガン細胞になったんやあれへん

あなたの、普段の怒りのエネルギー、悲しみのエネルギー、恨みのエネルギー、様々なストレス、過労心労が、昇華されずに、細胞を傷つけたんや

それを  戦う 殺す  って・・・   確かにガンやけど・・・・・

ガン化した細胞くんこそ、被害者やん・・・  

怒りの塊に対して、戦いを仕掛けたとしても、自滅の道   つまり  死 となりますワ

戦うんやのうて、自分がガンにしてしまったことを謝罪して、愛で包み込んでいくイメージやと、それほど暴れないと感じます

ガンに対して、謝罪して、話し合い、納得してもらって(怒りを昇華させるということ)、手術したら、もっとうまいこといくんやと思いますワ

細胞くんは、素直やから、その人の感情(要求)通り、ガンにななっただけで、それを戦う・殺すって言われると、「なんでじゃぁああああああ!!」って猛烈に暴れて、抵抗(増殖・転移)するように感じるんデス・・

また、臓器には、記憶も、感情も記憶(磁気情報)として残されてマス

臓器移植した後に、好み(嗜好)・クセが変わったり、性格(気質)が変わったり、自分の知らない映像がフラッシュバックしたりする現象がたまに起こるんは、そういうことなんやで

おしまい

  

 

2013年3月 6日 (水)

神社仏閣に参拝するにあたり13(開運編)

神社仏閣に参拝する目的の一つに、運気を上げる、開運祈願というのがあると思いますが、今回はその開運についてのお話です。

神社仏閣に参拝するにあたりというシリーズは、平野郷とは、あまり関係の無いシリーズですので、平野郷で検索されて、この記事が、トップ記事の場合は、他のカテゴリーの記事を見てください。

では

誰もが一度くらいは、俺は、私は、ツイてないと思われたことがあることでしょう・・・

頑張っているのに、一つもいいことがない・・・ (/≦、)

何をやっても、うまくいかない・・ 病気や、事故、様々なトラブルや不幸・・・・・

厄年でもないのに・・ この際、神社仏閣で御祓いしてもらって、ついでに ご利益を頂く・・・

でも  本当に、これで開運していくんですかね???

多くの方は、開運とは逆方向のことをされているようですので、このシリーズで取り上げてみたいと思います。

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悪いことも、生きていれば、必ず起こってきます。

それは、朝や昼が、いつか夜になるようにです・・・

でも  明けない夜もありません  いつか必ず  朝を迎えます

そう  悪いことは続きません  逆に、いいことも続きませんケド (;´д`)トホホ…

悪いことが起こるということは、気付きを得るため、自分が成長するため、学ぶために、生まれてくる以前に、あらかじめ、自分が計画して、発動するようにしているケースもあります。(生まれる時点で、忘れていますが)

前世で、間違った選択をしたり、逃げたり、放り出したり、成し得なかった課題(忘れ物)を取り返すため・やり直すために、今回の人生では、無理を承知で、課題に取り組もうとしたのかもしれません・・・・・

だとしたら、同じ失敗を繰り返さないためにも、逃げずに、真正面から取り組むことです。

結果が重要なのではありません、いかに逃げず、先送りせずに、真剣に取り組んだかが問われます。

まあいいや・自分さえよければいいや・人が見ていなければいいや・もっと楽な道があるはずだ・・・   このような考え方、行動は、開運を遠ざけます。

いいこと  悪いこと  というのは、実は、自分の見方だけで変わるものなのです。

悪い風に考えないようにしましょう  なんて言うだけなら、普通のブログでもある内容ですねぇ・・・  

もう少し詳しくお話しましょう・・・・

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悪いことがあったとしても、勉強させてもらっている、試されていると思える人は、悪いこととはあまり感じませんが、自分だけどうしてこんな・・・ ○○された と思う人は、たとえ良いことでも、悪いこと、悪い風に思い込んでしまうものです。(ウツになりやすい人ですワ・・)

開運する人は、いいことがあっても、浮かれず、ありがたいと感謝し、悪いことがあっても、自分を成長させるための課題だと感謝する人です。

悪いことは、実は、自分を成長させるために、わざと、神仏や、ご先祖様や、自分が用意していたとしたのならば、「悪いことは魔物の仕業 良いことは神仏のおかげ・・・」 とは言えませんね。

そう  宝くじが当たることも、魔物の罠(わな)の場合もあるし、事故を起こすことで、命を救う御先祖様(神仏)もおられるということです。

悪いことも、悪いことと言えず、良いこともいいことと言えない・・・・・

そう      悪いことであっても、受け切ることです。

とはいえ 「そうしたらイイと言われても・・・」 というのもよく分かります・・・・・

「アンタ 当事者やないから、そんなことが言えるんや!! 「自分は、なんで こんな病気に!! 「こんな事故に!!  「こんな悲惨な目に!!

「私の苦しみっ  わからへんのや!!

あまりの辛さに、神仏を恨むかもしれません・・・

でも  すべて 起こる事柄には、意味があります

ただ   私たち人間には、思い知ること、見ることのできない  計り知れない意図があるので、追求しないことです。

もうすでに、人間の理解できるレベルを、はるかに超えてるんです

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あの世 と この世 を合わせてひとつの人生となります。

なぜなら、魂は生き通しだからです。

よく 悪いことをして、お金持ちになって、贅沢な暮らしをしている人を見て

「なんて不公平な世の中なんだ」と言う方がいます。

ですが、それは、片側だけ  つまり  この世だけしか見ていないからです。

死んだらそれで終わり  勝ち逃げだと思っているのでしょうね・・・

でもそれは違います   あの世で、キッチリ  帳尻が合わされます

逃げられません・・・・・・ (゚|||) 

あの世には、お金も、名誉や地位も  持って行くことはできません

持っていけるのは、無欲の善行慈悲心や、愛情などの感謝の気だけです

生きていく中で、どれだか感謝できたか、どれだけ他者(他のもの)に愛情を注いだか、思いやりを持てたか  そして  自分がお預かりした神様を大切にしたか、自分の先にいたご先祖様という先輩に対し思いやることができたか・・・

もちろん  これは一例にすぎませんが、思いやりの気・感謝の気しか、あの世に持っては行くことができないんです・・・

良くないこと、不幸なことはツライことですが、それでも立ち上がり、受け切って、前に進むしかないのです・・・・・

一見  楽なように見える、問題から逃げたり、目を背けたり、することは、B面であるあの世では、必ず後悔することになるからです・・・

自分なりに受け切り、前に進むこと  それが、開運のコツです。

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それより   え  何っ

生まれる前に、計画って・・・??  でも  何で、わざわざ、そんな苦しく、ツライ思いをしに、この世に生まれてくるのかって

あの世は、動かない世界、固定された世界なのです・・・

生前の行い、感謝や善行の量に応じて、同じ性質同士が、引き寄せられます。

文句ばかり言い、争っていた者は、争い戦いの世界へ、人のものを奪ってきた者は、自分が追われ奪われる世界へ・・・ 行くことになります。

固定されているとういのは、石のように静止しているということではありません

その世界で、延々と、同じことを、何度も何度も、繰り返します・・・

まるで拷問のように・・・・・

立場が逆転して、体験することになります  ある人は、その世界を、地獄とも呼びます

あの世という世界は、そういう変化の無い、固定された世界なのです。

肉体を脱ぎ捨て、我(垢)が無くなった魂は、良くない世界に来たことを、それはそれは、大反省し、大後悔することになります・・・

たとえ  天国のような世界にいた魂も、満足することなく、さらに磨きをかけたいと思うようになります。

(ちなみに、天国など高い霊界は、魂の自由度は高いです)

はい  魂を磨ける唯一の場所が、私たちがいるこの世界  この世というわけです・・・・・

大学に行って、専門課程を学びたい、研究室に残って、研究したい  そう 思う人もいるでしょ  

魂は、我がないから、みんな磨きをかけたい、さらに進みたいと思うんです。

時間という制限があり、殺人者から神人までいる、混沌とした世界であるこの世でしか、魂を磨く(自我を崩す)ことはできません   ホント 唯一の次元なんです

だから、無理をしてでも、また生まれたい  チャレンジし直したいと、生まれてくるんです。

でも  やっとの思い出生まれてきても、ボ~っと終われば、魂は磨かれず、逆に過去生よりもランクの低い世界に行くこともありますワ・・・ (笑)

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この世に生まれてくることは、それはそれは大変なことです。

どんなに望んでいても、簡単に生まれることは許されません。

私たち人間が誕生するときには、先祖の霊線を使い、家系の肉体を借りた上で、神気を受けて誕生することが出来ます(つまり誰もが、心に神様仏様を宿して)

畑からも、実験室のビーカーからも生まれることは出来ません。

誰もが、陰陽の男女・父母から生まれてきます。

家系のDNAの先を遡っていけば、いずれは神様になり、最終的には、元神(仏)にたどり着きます。

神社仏閣で、お気軽に、神仏に祈願していますが、正神仏は、直接願いを聞き届けることは許されてはいません・・・

では  誰が、神縁・仏縁を結んでくれているかといえば、安心境地におられる、ご先祖様が、子孫のために奔走してくれているのです。(眷属神が動かれている場合もありますけど)

ですが、安心境地におられるご先祖が少ない・・ 逆の言い方をすれば、苦しまれている、ご先祖様が多い人ほど、不安になったり、物事がうまく運ばなかったりします・・・

開運しにくいということです・・・・・・・・・・・  え゛っ!!(〃゚д゚;A;)ゝ

正しい先祖供養をされていない家系は、どんどん開運とは逆方向  閉運(途絶える方向)となっちゃうんですワ・・・・

苦しんでいるご先祖も、子孫であるあなたを苦しませようとしているわけでも、迷惑をかけたいと思っているわけではありません

ですが、霊線の最先端である、この世にいる子孫でしか、救ってもらえないんで、仕方ないんです・・

家系を辿っていけば、生まれたくても生まれなかった魂や、生まれてもすぐに死んでしまった、幼子、病気や戦(いくさ)で命を奪われた人なども、たくさんおられます・・・

「自分なんてダメな人間だ」  「何の役にも立たない」  「生きていても意味が無い」なんて言っている人は、こういう存在が許してくれまへんし、生まれたときに預かった、神様を否定することとなりますから、開運の方向とは、逆方向に行きますワ・・・

自分の前には、そういうたくさんの存在がいること、心の内側の神仏が応援してくれていることを、知ることです。

そして  今 こうして生きていられることに感謝をしましょう

「あなたたちの分までがんばります」「今日も生かしていただいています」

あなたなりの、言葉で・やり方でかまいません 重要なことは、他人に任せないことです

お寺や神社  坊さんや神職にお願いしてるから いい ということではありません

霊能者なんかに依頼するのは、最悪中の最悪デスワ・・・

霊能者と呼ばれているような人は、お金・時間・幸せを奪うだけでなく、汚い垢を付けているだけです・・・・

正神から最も遠い存在であり、正神が最も嫌う人たちです・・・

彼らのことを、正神は、鬼籍のモノと呼びます・・・

霊能者など、スピリチュアルだなんだと、売り物にしている人に近寄らないことです。

じゃ  占い師ならいいの  って??

ダメです  自分のハンドルを握らせないことです

土地の権利書・通帳と銀行印・実印・株券・現金などの資産を道端を歩いてる人に預けるよりも危険なことです

ご先祖様のために、お経を上げていますといわれる方もおられるでしょう・・  

ご先祖様を思ってのことなんですが、実は・・  お経などは上げないほうがよいです(法事などのときは仕方ありません・・  普段はということです)

どうしてかと言いますと・・・・

お経や、真言などには、霊を滅する、焼く、封じるという気質が含まれているだけでなく、「その経文を信じたのに殺された」などの恨みなどが何百年分も、堆積しており、それが再生されているからです・・・・・

最初の頃は、そんな磁気は含まれていませんケド  時間の経過とともに蓄積されてるんです・・  どんなにすばらしい経文でもです・・・・・

Σ( ̄lll) がびょーーーーーんm

滅する・封じる・焼く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

助けを求めているご先祖様や、生きていることが羨ましい、水子さん(ご先祖)を、消去するは、自分の存在を否定し消去しているようなものです・・・

ある種の  自殺行為でんなぁ

DNAの2本の絡み合う鎖の先の先には、目に見えない、霊線が神様まで続いてるんです。 (DNAは2本やけど、霊線に巻きついているように感じます)

先祖供養とは・・・   先祖を助けているようですが、実は自分を助けているということが、後にわかることでしょう・・・

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話がぁ  長くなってぇ  まとまらないので  そろそろ  開運するためのポイントです

神仏に祈願しない  感謝を述べましょう

●「自分さえよければよい」は不幸を呼ぶ  神仏が一番嫌うことです

この世だけを見ない  あの世と、この世 合わせて一つの人生

良いこと、悪いことは、見方・感じ方次第  感謝して受け切りましょう

霊線をキレイに  先祖供養には、意味があります

他人任せにしない  開運グッズなどは、実は不幸グッズ 霊能者・占いに頼るのも不幸に

恨み言 グチは 生霊飛ばし  必ず自分に戻ります 悪い言葉は使わない

悪い思考も行為と同じ  逮捕されませんが、生霊飛ばしと同じです

生きていることは当たり前ではありません それが本当に理解できれば開運していきます

日々の積み重ねがもっとも近道   楽して・手っ取り早く は ありません

他人(人・物・社会)のせいにしない  今の現状は過去の自分の選択の延長

執着を手放す  恨みや、文句  悪い執着を愛情・感謝で断ち切りましょう

許す  許せないのは、他人という鏡に写った自分だから  自分の中にそのことが無ければ許すも許さないも無く、ただかわいそうな人と思える

目の前のこと・やるべきことを一生懸命やる  まず行動 評論家になっていませんか

思いやりの心を育てる  目に見えない存在・他人・自分を思いやる人へ

素直になりましょう  自我を溶かす=素直になる=開運する

感謝できる人に  まずは、口から そして行動 そして心からへ

真に、今生かされているということに感謝ができれば(気付くことができれば)開運する方向に必ず向かいます

今回の内容は、ちょっと重かった??

次の記事は、お気楽な記事にしよっ・・・・ ヾ(_ _) はぁつかれた

おしまい

おまけ 追加記事

以前の記事でもお話しましたように、人間は、霊的存在(神様)最高の依り代(ヨリシロ)です

人は生まれるときに、すべての人が、神様を預かって誕生してきます。

ところが、知恵がつき、自分の我が大きくなると、心の内側の神霊(神様)は隠れてしまいます・・・・

自己中心的な行いや、人や他の存在、関係を傷つけたりするような行為・言動、それこそ悪行などを行うような人は、心の神様が隠れてしまっているので、多少の罪の意識はあれ、それに慣れて平気になります。

そういう人には、悪霊とか呼ばれているような、霊的存在が寄ります・・・

そのような存在に憑依されると、自分では抗うことが出来ずに、どんどん深みに嵌っていきます・・・・

最終的には、周りはおろか、自分も破壊してしまうようになります・・・・

よくニュースでもあるでしょ   「誰でもよかった」っていうフレーズ・・・・・

神様が寄る人、悪霊が寄る人 何が違うのか

過去生に問題があるからではありません・・・

運がいいとか悪いとかでもありません・・・・・・

そう  それは  今までの生き方で決まってくるからです

自分を信じられない人は、他人も信じられません  そんな人は、自分にも、他者にも、愛情を注ぐこともありません

だんだんと、心の火種が小さくなってきます  ある人は、心の病に、ある人は、身体を壊し、ある人は事件を起こし、ある人は自殺し・・・(自分が預かる神殺し)

今までの自分の生き方すべてに原因があります すべて自己責任です・・・・・・・

人間ですから、怒り、泣き、多少の悪いこともするでしょうが、それを超える、善行をすれば、打ち消すことができます。

でもそれって偽善やん・・・・  偽善ですらできない人はそう言います

きっかけは偽善であっても、続けることができたとしたら、それはもう立派な善行なんです  大それたことでなく、小さなことからでいいんですワ

先祖という眼に見えない存在を慰める、先祖供養は、大きな善行の一つです

先祖との繋がりである霊線の詰まりがあると、霊的サポートも受けられず、生命エネルギーも弱く、正しい方向に向かう判断も不確かとなり、開運しにくいんです・・・・

正しく先祖供養ができていれば、普通ぅに開運していきますワ・・・

普通やのうて  ドンっと開運したいって??   欲張ったらあきまへん・・・

自分の努力次第ですワ  思いやりと、感謝の気 (善・徳)を積み重ねなはれ・・・

一日の終わりに、怒りや、不満を残したまま寝るんやのうて、感謝の気で打ち消してから寝んと  あきまへんで

身体に悪いから、早よ寝ぇやぁ~

  

  

 

 

2013年1月29日 (火)

神社仏閣に参拝するにあたり12(過去生編)

神社仏閣に参拝する方の中には、悪いことが起こる・続くのは、過去生に何かがあったのではと心配になり、過去生のことが知りたいと思われる方がおられるかもしれません。

今回は、そんなお話です

このシリーズは、平野郷とは、直接関係の無いシリーズですので、平野郷で検索されて、この記事がトップページだった方は、他のカテゴリーの記事を見てくださいね

私たちは、現在 生きて、この世を生活していますが、肉体は、器であり、乗り物で、その中に魂と呼ぶべき存在が定着して、人間として生まれてきています。

もう少し細かく言いますと、母体で成長していくある時点で、母親が暮らす土地の神様(産土神)の神気を受け(神の分霊(わけみたま)を授かり)魂と合わさり、誕生します。

(人は生まれながらに、神様をお預かりしていて、死ぬときに、神様とお別れするということです)(あまりに近すぎて、生きている間は、ほとんど気が付かないんですが・・・)

肉体を保てる期間は、70~90年ほどですが、魂と呼ぶべき存在は、永遠の存在  つまり生き通しの存在と言えます。

今のあなたの魂も、あなたになる前は、どこかの時代の、どこかの国で、男性だったか、女性だったか・・・  様々な身分、職種を経験して、何度か生まれ変わってきているのです。

あの世と、この世という世界  陰陽の世界を、行ったり来たりしているということです。

     何のためって??・・・・・

より   成長するため(学ぶため)です・・・・

魂という核の部分は生き通しでも、肉体や、お預かりしている神様(神霊)は違いますし、時代や、周りの環境、人間関係も違いますし、生まれ変わりのテーマや、クリアすべき事柄も変わりますから、輪廻転生はないといわれる方もおられます。(見方・考え方の違いです それはそれで 桶)

魂は何度かの人生を転生しながら成長していきますが、その度に、壁(課題)が立ちふさがります。

でもこの壁のほとんどは、あの世で、自分が計画してきたことです。

自らの成長のために用意された課題に対し、どう立ち向かったかが人生の最後(死後)に問われます。

どのくらい進めたか、穴が開けられたかという「結果」ではなく、いかに、逃げずに努力したかという「過程」を問われることになります。

誰が評価するんでしょう???

閻魔様  神様  仏様??  キリスト様???

いいえ  違います    評価する(裁く)のは、自分自身です !!(゚゚屮)屮

肉体を脱ぎ捨てた魂は、自我が無い、光り輝く無垢な存在です  善悪全て 隠し事はできません  空間に刻まれた、過去の行いを自らが評価します。

その時、他人から奪ったならば、奪われ  傷つけたのならば傷つけられ・・・ 自分が行ってきた行為を、自らが、反転・反射で、自分ごととして、追体験することとなります・・・・・・・

肉体が無い、精神のみの世界では、それはそれは ツライことのようです・・・・

よい生き方をしてこなかった方は、大いに恥じ、悔い、苦しみ、反省します・・・

そして  自分の行くべき世界(地獄を含めた霊界)に自ら向かいます。

前置きはこのあたりにして、そろそろ過去生のお話を進めますね

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私たちには、過去に生きていた時の記憶の一部や癖のようなものが残っていたりすることはあっても、生まれてきた時点で、とりあえず過去のことは、クリアされいているということになります。

誰でも生きている限りは、心に神様をお預かりしているのに、その神様を悲しませる行為や、大切な神様自体を、奥底に閉じ込めるような方は、本来心の中央に「でん」と座られる神様が隠れられ、あるいはやせ細り、心に不足感を感じます。

不足感を感じていますから、「もらう」「奪う」「集める」「手放さない」という行為をしてしまいます。

いくら、集めたとしても、奪ったとしても、いつ失うか不安で仕方がありません・・・

どんなものを、どれだけ手に入れても、満足するどころか、心に隙間があるように感じます・・・

それで、その隙間を別のモノで埋めようとするんです・・・・・・・

宗教や、ブランド品、お金、異性(不倫)など様々です・・・

また隙間を埋めようとするだけでなく、ヒーリングやセラピーなどと、深海深く沈んでいる不発弾を無理やり処理しようとされる方もおられます・・・

現在の自分に問題があるにもかかわらず、他の何かに原因があると感じるわけです・・・

過去生に問題があるのでは  霊障だ あいつのせいだ こんな風に感じます・・・

そこで、霊能者と呼ばれている人や、過去生を観れるという風な宣伝をしている人に頼ります・・・

このような、霊の世界を、飯の種にしているような人は、霊的世界の恐ろしさすら感じられないからこそ出来ることなのです。

テレビなど、どんなに有名な人でも、自分以外が知るはずの無いことを言い当てられたとしても、どんなに奇異(きい)を見せられたとしても、それらは、正神界からの情報などではなく、人間界に近い低い霊界の霊的憑依者が行っている、当てもの、芸当にすぎません・・・  (コックリさんと同じ)

ただ  大多数は、いい加減なものです・・・  

困っている客からお金を頂く限りは、それなりの期待通りのことを言わなければなりませんから、相談者から、会話で誘導し、お話を創作していきます・・・  また少し観えたとしても、相談者という鏡に映る、自分の醜い姿を、その人の霊障だと勘違いしていたり・・・(笑)

リピーターになって、お金を何度も運んでくれるように、親身になってるフリで、話を聞いてくれるでしょうケド・・・・・・

ワラをもつかむ思いの、相談者から、金品だけでなく生命エネルギー、時間を奪う行為は、霊的世界では、重罪となり、術者は大きな代償を支払わせられることになります。

では   無料で、観ますというのならよいか ということになりますが、これもダメなのです・・・・・・

神界・霊界のルールに、「学びを奪ってはならない」という厳しいものがあるからです。

今 転んで気が付かなければいけない機会を、奪うなど、霊的存在の思い、苦労を水の泡にしてしまいます。

本当に神意で動いている人は、観えたとしても、話せませんし、絶対に表に出てはきません・・  スピリチュアルなどとは、縁遠い普通の仕事をされていると思います。

神仏の名を使ったり、霊的・スピリチュアルと称して商売しているような輩には、決して、近づかないことです

霊的垢まみれに(マーキング)され、肉体を脱ぎ去るとき、苦痛となります・・・

自分という唯一の存在であるエネルギーに傷を付けてるんですワ・・・・・・

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過去生に思いを残す事柄は、誰にもあります・・・  無念な思い、悲しみ、憎しみ、恨み・・、悔しい思い・・・・・

そんなは、開けないほうが賢明です

過去が原因だと悩んで、開けようとするのでしょうが、悩みが増幅するだけです・・・・

実は、ネコ三昧も、昔、興味から、自分でこの箱を少し開けたことがあります・・・・

その結果は・・・・・

最愛の娘と、自分を信頼してくれていた仲間を死なせた上に、自分だけが生き残ってしまったこと・・・  

ある神域を荒らし、神職とおぼしき人を斬ったこと・・・

現在の身内が、過去では敵対相手で、背後から斬りつけたこと・・・・

その他  諸々@@@@@  観ました・・・

身体が泣くんです・・・ 悲しくなくてもです・・・・

手には、刀の感触がリアルに残っていました・・・

詳しくは記載できませんが、ロクなことはありません・・・

二度とやりません・・・・・

過去生はあったとしても、そんなものを観たとしてもいいことなどありません 

本来は、知るはずのないテストの問題を、見てしまったわけですから、今生か来世かはわかりませんが、またこの壁(問題)は来るでしょう。

(「昇華さえすればいい」というわけではないのです)

生まれてくる時に、過去の記憶を消されてくるのには理由があります。

出題される問題がわかっているテストなど意味が無いからです・・

問題にぶち当たり、その度に乗り越える  それ以外 成長はできないからです。

もし、自然に、過去の記憶を思い出したのなら、過ちがあったのならば、素直に謝罪し、感謝の気持ちを捧げることです。

誰も悪くは無かったということがわかります・・・・・・・

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過去は過去です  もうすでに終わっていることです

現在生きているのは、自分です  過去の誰かではありません

過去よりも、今現在・今をどう生きるか、どう選択するかが一番大切です

残り時間は少ないです  あと何回お正月を迎えられますか

30回 50回??  ??  4~5回???・・・・・

この世は、過去の行い全てを上書き出来うる、唯一な次元です

生きていることは「あたりまえ」なことではありません

見えない支えがあって、生かしていただいていることを忘れてはいけません

本当に「御蔭様(おかげさま)」なのです

自分は運が悪い・悪いことが続くと思うのならば、祈願やお祓いではなくて、悪いこと・嫌なことを、逃げずに受け切ることです。

厄除けなど、避ける・逃れようとする方向に行けば行くほど

問題を先送りすればするほど

他人の意見のまま動けば動くほどに

自分の中心(良心という御柱(みはしら)つまり心の神様)を失いよい人生とは逆方向  つまり  弱い人生・先細りの人生に進むことになります。

今 置かれた立場で、とにかく前に進むことです

「悩む」「迷う」のは、まだやり切っていないからです

「ここまでやって、ダメなら仕方ない」  「あとは楽しみだ」と自信を持って言えたなら、どの結果となっても、どちらの選択したとしても、正解と言えるでしょう。

あとは、善の気 感謝の気を積んでいくことです

過去に起こった事実は変えられませんが、思いを残すような気は、変更することができます

そう   上書き可能なんです

この世はそれが出来る次元であり、今がそのチャンスタイムなのです

今  あなたが生きていられるのは、あたりまえではありません

生きたくても生きれなかった存在  生まれることのできなかった存在

そういうご先祖の最先端で、生かしていただいているということです

今の連続が、未来です   

今がダメだ・私なんて・なんて不幸なんだと思っている人は、未来も同じということです

逆に  オレ様はすごいんだ、本当のオレはこんなもんじゃねえ!! と  何もせずに、ただ  空から大福が落ちてくるのを待っていても、大福餅は落ちてなんかきません

今  あなたが決意し、行動していくその積み重ねによって道は開かれます

たとえ前は、暗闇でも、やがて、歩いてきところが道になります

振り向いたときにそれがわかります 

おしまい

2012年12月 9日 (日)

神社仏閣に参拝するにあたり11(おさらい編)

今年も残すところわずかとなってきました  初詣までに、神社仏閣を参拝するおさらいをしておきたいと思います。

このシリーズは、平野郷とは直接関係ないシリーズで、たまにやってますんで、平野郷関連の記事は、他のカテゴリーを見てくださいね。

では

鳥居からは、神域となりますから、不敬のないようにしましょう。 

眷属神が守る神社などでは、ふざけていると、転んだりします・・ いえ  転ばされたりします…
マジメに参拝しましょう。

治安の面が大丈夫でしたら、個人・個々で参拝される方がよいです。
(家族でしたら問題はさほどないでしょうが、宗教的な団体参拝、スピリチュアル的グループ参拝などは最悪です…)

鳥居や山門はわかりやすく言いますと、結界のような役割を果たしています。

くぐる前・帰る時には、一礼しましょう。 

参道の中央部は、神様の道です。  参拝の際には、脇を通りましょう。
お祭りなどや、交通事情などがある場合は、中央を通っても、仕方ありません 心中で「通らせていただきます」と思っておけばよいです。 要は、神様に対する配慮が大切だということです。

御神木や、注連縄が張られている岩などには、触れてはいけません

神気は、降り、木を渡っていきます  人間の粗い磁気で触れると、御神木などは、長い間、神気が依ることが出来なくなります…  

眷属神が守護するような神社では、罰があたるでしょう…

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ご利益があるかもと、石などを持ち帰ってはいけません。

人間の世界観では、ただの小石でも、霊的世界観では、山のような岩石であったりもします。  霊的な要石(かなめいし)かもしれません… 

ご利益があるだろうと、持ち帰るということは、いいものであれば、何であろうと自分の物とするという行為で、「我の欲望のためあらば、神の物でも、盗む邪まな者」と眷属神は見ています。

手水舎で、手と口を清めましょう…  

これは、神様に対するエチケットであると同時に、自分を守るためでもあります。 

一般的な神社ですと、二礼ニ拍手一礼ですが、神社(御祭神)により作法は異なります。

鈴があるところでも、大げさにしないこと、お賽銭も、静かに納めましょう。
大げさに鈴を鳴らしたり、大きな音を立てて、お賽銭を入れるているのは、「○○さまが忙しいのに来てやったぞ、さあ願いを叶えろ!」「お賽銭入れたぞ!」と、神様に対して見返りを要求している心理があるからです。 

そういう心があれば、願いが叶うどころか、眷属神から罰があたるでしょう…

神社仏閣は祈願所ではありません  

祈願は、神霊を使う・使いっ走りにするということです。 祈願されて、動く神霊は、本当に怖い存在です。  後から請求が来ます。  今生で返せなければ、死んだ後も、延々と使役されることになります。

交換条件といっても、それ相応のメリットがなければ、神霊も動きません…
その点  正神はエコヒイキしません。 
平等であるがゆえに、誰の願いも聞く・動くことはありません 逆の言い方をすれば、正しき心の者は、どんな状態であっても、訳隔てなく救います。 人種や宗教など関係ないことです。

神札は、一年ごとにお返しして、新しく受けることがよいです。

交換時期は、いつでも特に問題はありませんが、お正月前にされる方が多いように思います。  ネコ三昧的には節分の前にされたら良いと感じています。

喪中で、神社仏閣に行けないという場合は、喪が明けた後にされれば大丈夫です。

○○に絶対しなければイケナイっ!! ということはありません・・・

霊的世界(あの世)から見ると、人間の1年なんて、一瞬にすぎないのです

神霊や、ご先祖(守護霊)様もよくわかっておられます

理由を述べて、遅くなりましたと心の中で思えば、それで通じます

一年の感謝を述べて、受けられた神社仏閣にお返しします。

遠い所の、一宮などの神札を受けたが、そこに行けなくなったとしたら、お近くの神社にお返ししてもかまいませんが、行けなくなった意味を考えて、ここに納めさせていただきますと、感謝を述べて、納めてください。

古くなって、効き目がないから、ポイ  面倒だけど怖いから、近くの神社ならまだ罰はあたらんだろう・・・  こういう考えだと、本当に罰があたりますよ・・・

神札は呼吸をしていますので、ラップで包んだりしてはいけません。

また、神札は、グッズではありませんので、集めるものではありません。 神線(縁)がもつれ良くないだけです。

神棚にお祀りし、毎日水交換できなければ、神札を受けない方が良いでしょう。

その責任が持てない   まだその段階ということです。 (幼稚園児が犬を飼うぅ!世話をするぅ!と言っているようなもの)

他人に頼んで、神社仏閣で、神札を受けてきてもらうのはダメです。

必ず、ご自分の足を運んで受けましょう。

お札を、押しピンでとめたり、セロテープや、マグネットで貼ったりしてはいけません・・・ 論外です

神棚・仏壇を譲る、譲られるのはダメです。  

高価なものでなくてもよいですから、時間をかけて選びましょう。  神仏を信じていない人ほど、仰々しい神棚を欲しがります。  伊勢神宮に行かれた時に、簡易神棚を3つお求めなられれば、立派な神棚になります。

専用の仏壇を買わせる、他宗派の仏壇を捨てさせるような宗教・会は滑稽です

たとえ手作りであっても、先祖のためにという、心がこもっていれば、それは最高の仏壇となります。

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神社仏閣も、表面的な祭神と違い、どのような神霊が祀られているかは、わかりません。

表面上とは違う、祟り神のばあいなんていうこともよくあります。

そんな、霊的存在に祈願すると言うのは、ヤクザ屋さんに依頼することの何百倍も恐ろしいことです・・・・

霊的存在は、交換条件でないと、動いたりはしません

どんな神様(神霊)であっても、感謝を述べられる分には、罰も何もありません…
自分なりでかまいませんから、素直な気持ちで、感謝のみを奉納しましょう。
形式が大事ではなく、その心 気持ちが大切なのです。

うまくいかなかったり、希望通りにいかないことも現実的にはあるでしょう。
ですが、それが最善であったり、次の行いを試されているのかもしれません。
感謝の気を、奉納していきましょう。 それが良い方向に向かう、最善の方法です。

もし今まで、祈願をしていて、怖くなって、行くのを止めたりすると、一気に請求書が来ることとなります。

回数は減らしてでも、感謝だけの参拝は続けておきましょう。

その間は、請求書の請求を先延ばしすることが出来ます。

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例えば「○○大学×学部に合格します」と宣言することは、いいことです。
受験できるということは、もうすでに「アタリマエ」ではなく、ありがたいことなのです。
様々な方々のお蔭です  感謝しましょう。

ですが、まだ合格もしていないのに、「合格しました」と完了形にされる方がおられます。   

引き寄せの法則??のつもりなのか、どういう意味があるのかはわかりませんが  これはよくありません…

後輩や、部下から、「松坂牛ありがとうございました」と、贈ってもないものの御礼を言われたとしたら、どうでしょうか  

おふざけだとしても、「期待してるよ」ということになりませんか

神霊に対してでしたら、それを要求していることになりますから、眷属神から罰があるかもしれません。 (罰は、見事 引き寄せ できそうですね)

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たまたま見た、テレビで、参拝時に住所・名前を言うと言っていました……

その説明が、祝詞の中でも住所や名前を読み上げていて、その簡略だからだそうです…

それを聞いて笑ってしまいました  名前や住所を言ってもらわないと、わからないようなボンクラな神様(正神)はいません…

これは、祈願者が、いくらか納めて、拝殿に上がっているのに、自分の名前が呼ばれていないと納得しないからです… (人間に対してのサービスです)

名前や住所を言う必要などありません…
名前など、生きている間だけの、他人と区別するための呼称にすぎませんし、住所など、人間が付けた名称です。 そこが自分の土地だと思っていますが、本当は、地球自体が神様のもので、その期間だけ借りていることすら、忘れているのです。

正神は、いついつに、どこの誰が来るということを、知っていますよ…

記帳などは、「これでもか・・これでもか… 早く叶えろ」  恨みノート状態と化している場合もあります…  (霊的な蛇や蟲が絡んでいるのが見えるかもしれません)

よく整備された神社や仏閣は、鏡です  あれこれ言うこともなくとも、全てお見通しです (今まで積んできた気を一瞬で見られます…)
あれこれ言う必要はないです…   神様・仏様を信じていると自称する人ほど、形式にこだわったり、神前・仏前に長居して居座りますね…

お経や祝詞を奏上してたり・・・ (困)

こういう場合は、時間をずらすか、離れていたほうが無難です

自分さえ良ければという気質を、正神は一番嫌います…
正神は、与え続ける一方です  奪うこと、停滞させることは魔逆の方向です。
与える方向が、失うことのように・遅いように見えますが、実は一番の近道です。

参拝するには、午前中で、出来るだけ早い時間が良いでしょう。
時間がたてば経つほど、参拝者が持ち込む、雑多な気が蓄積されていきます…
夕方前から、早朝までは、参拝されない方が良いでしょう。
黄泉(死の側)の時間帯になります…

神事・仏事は午前中が基本です

参拝は、家を出るときから、家に帰るまでが参拝です。
鳥居や、山門をくぐるというのは、その中での、区切りです。

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この世は、現実世界です。 どれだけ祈っていたり、瞑想していたりしりするよりも、現実に行動することです。  

死後の精神世界では、何万年でも、好きなだけ、祈りも瞑想もできます…  ですが、その時は、アリでさえ簡単に運べる、砂糖1粒でさえ、動かすことはできません。

この現実世界に肉体を借りて、生きていられるのは、せいぜい80~90年そこそこです。
それだけ、生きてられるという期間は稀有(けう)で、ありがたいことなのです。

それぞれが、学びの最中で、学びの目的も、段階も違います。
人と比較すること自体が、無意味です。
どんな状態であれ、今生きていることを、素直に感謝して、その気持ちを奉納しましょう。

2012年11月 5日 (月)

神社仏閣に参拝するにあたり10 パワースポット編

どこそこの神社のこの場所には、パワーが出ている・・  あの土地は、○○の聖地だから、パワースポットに違いない・・・・ など  本当にそんなことがあるのでしょうか

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答えとしては、そういう場所は確かにあります・・・・・

ですが、注意すべきことがたくさんあるんです・・・

例として、3つほど上げますと

1 本当に正神が鎮まる場所の場合

ほとんどの場合、何も感じないことが多いです  正神は、人間に感受されることは、まずありません  このような場所では、清々しさを感じると思いますが、もし、他の感応をしたとしたら、正神を守護している、眷属神の場合が多いと思います。  こういう聖地では、不敬な行為を、眷属神は許しません・・・  面白半分での参拝はやめましょう

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2 表面上の御祭神ではなく、埋もれた埋没神(疫神や悪神の場合も)が鎮まるような場所の場合

後の時代に勧請されていたり、見るからに寂れていたり、由緒そのものがわからないような社や祠に、祈願すると、後の請求書で大変なことになるかも・・・

人間の望みを叶えてくれるような神霊は、低級な存在ですから、後からが怖いんです。  ヤクザさんに頼んで、10万円取り返してもらったら、結局1000万円取られたなんていうのと同じですワ・・・

祟神(たたりがみ)などを、神として祀るかわりに、祠や塚に鎮めていることなんて、いっぱいあるんです・・・・・

違和感を感じているのを、感応していると錯覚してしまうようです・・・(=゚ω゚=;)

霊的存在が入れ替わっていたり、その神の名を騙っている存在である場合すらあります・・・・

そんなお社であったとしても、感謝のみの参拝ならば、何の問題もありません

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3 過去の霊的祭祀場所や、刑場址や、事件・事故が起きた、起きる場所だった場合

霊道などがある商店なんかは、すぐに潰れて、空き家になっていたり、家族に何らかの問題が起きたり・・・  ああ怖ワ・・・・ 

こんな場所は、何か違和感を感じたりすることが多いんやけど、ゾクゾクするぅって喜んでる人もいるから、困ったもんですワ・・・

神霊だけやないんですね 人は亡くなると、安定境地の先祖霊がお迎えに来られるんですが、この世に強い、未練、恨みを残してたり、新興宗教などに浸っていた人とか、あまりいい生き方をしなかった人の中には、お迎えが来ても、気付かず、あるいは還ろうとせずに、この世に留まる霊体がいるんです・・・・・

始めのうちは、フラフラ移動できるんですけど、だんだん自由がきかなくなって、鎖で縛られたように動けなくなるんです・・・・・

それを、世間では 自縛霊って言っていますが、動けなくなっても、欲望はそのままなんです・・・・・

「人を斬りてぇ~ 斬り刻みてぇ~!!!」「生肉喰らいてぇ~!!!」「アイツだけは呪い殺してやるぅ~」「暴れてぇ~ 壊して壊してぇ~」 

でも!!! 動けねぇ~!!!!!!!!!!!!

こんな感じで、謂(いわ)れのある場所で、何十年、何百年も、待ち構えてるんです・・・

何を って??

器を   ウツワぁ?? 

パワースポットでも、神社仏閣であろうと、何でもいいものだと思うものを、貰いたい、すがりつきたい、自分の願望を叶えてもらいたいって人が来るのをです・・・・  カモネギの人間  これが器ですワ・・

自分に無いものを他から、貰いたい、埋め合わせたい、こんな人は、魂の座を空けたままですから、簡単に入り込むことが出来るんです・・・・

ニーズが合うんです・・・・・・・ (;´`A``

これを憑依って言うんですが、先祖霊(守護霊のこと)と繋がってる、霊線を切られたら、もう完全なロボット状態です・・・・・

本人が抗うことも出来ず・・・ 猟奇殺人なんかの事件を起こしたりしてまんなぁ・・  被害者も本人も、カワイソウに

そういうことですから、特に、慰霊碑や、忠魂碑、何とか塚や、祠なんかでは、お祈り、お経など・・・ せんことですワ・・・

お家に、兵隊さんとか、落ち武者はんとか、ついて来てたら、どうするベ・・・

イヤやよねぇ  普通はぁ

長くなるんで、このくらいでまとめです・・・

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パワースポットでパワーを貰おうなんていう発想自体がダメダメです・・・・

他から貰おう、補おうというのは、実は、何も得ることのできない霊的存在のワナ で 間違った方法やと思います。

実は、人間の中には、もう全てのエッセンスはどなたも、平等に持っているんです  答えは自分の中にありまんねん・・・

もし  自分に、不足していると感じるものがあるのならば、自分から出すことなんです・・・

物質的なモノは、出すと、減ります・・・  でも愛情や、親切や、思いやりなど目に見えないものは、出せば出すほど、還ってきます・・・・ (増えていきます)

これは、宇宙のルールなので、例外はおまへん・・・・・

ただ、時間差があったり、形が変って還ってきたりするから、関連付けができまへんのや・・ (気付かないことがほとんど)

今生に還ってけえへんのやったら損やんか と思われるかもしれませんけど、そうやないんです・・・  これがっ

あの世では、この世のお金(紙きれ)は必要ないんですが、あの世に持っていける唯一の財産が、この見えない善行磁気(感謝・他に施した愛情総量)なんです・・・

この量と質で、あの世での行き先が決まります(自分が決めます)

正確には、死ぬまでの、心の境地(安心度合い)や、生前に行った行いによりますワ

同じものが引き合う世界に、行くんです  ウソもごまかしも通用せえへんし、金持ちも貧乏人も、有名人も平民も、みな平等ですワ・・・

他人のために無心でやってきたことが、実は自分のためになってたんやって、死んだ後に気付くんです  ハイ

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世間では、パワースポットだの何だのって紹介している本や雑誌も多いですけど、その本を書いてる、先生様の質を正直疑います・・・

読者がどうなろうが、部数が伸びたり、印税入れば、ええんやろうなぁ

いえ    ただ  無知なだけか・・・

紹介された土地の神霊は怒ってまっせ!!

不敬の輩が、たくさん押しかけてきて・・・・・・

禁足の地を、土足で踏み荒らして・・・・・・

神霊は、法的には、訴えませんけど、罰はあてまっせ・・・・・

眷属神は、容赦無しやからね

確かに、本物のパワースポットはあるけど、そこに行っても悪いことはあっても、ええことは何一つありまへん・・・・・

このシリーズは、平野郷とは直接関係の無いシリーズなんで、平野郷関連の記事なら、他の記事をご覧くださいませませ

おしまい

おまけ

パワースポットはアカンのやったら、「幸運の○○」とか、パワーグッズやったらエエのんちゃう  と思われるかもしれません

答えは  ダメダメ  です・・・・・

何の効果があれへんだけやないんです・・・

いいものであったら、たとえ神仏のものであっても、もらいたい(奪いたい)

何としてでも  。。。。。なりたい・・・・・

多くの怨念とか欲望とか、悪い気が凝り固まって、正に、不幸グッズ・不幸ポイントですワ・・・・・・

自分で、霊能者や、スピリチュアルカウンセラーや とか言ってる人は、石をジャラジャラ身に付けてたりしますねぇ・・・・・

そういう人は、ええ不幸の目印になるから、近づかんことです

大切な自分の「気」を漏電させるばかりか、乱されます

無料やったとしても、貰わんことですし、行かんことです

「幸運の○○」なんて言ってるもんは腐るほどあるけど、ホンマに幸運になるモノは皆無なんが本当です・・・・・

そういうモノを欲しがる相手をエサにする、モノたちを喜ばせるだけです・・・

一番最初は幸運のモノであっても、その後は、欲にまみれ、不幸グッズになるんです・・・・

怨念のようなどす黒いモンが、渦巻いてますワ・・・・・・・  あ~ こわ

パワースポット、パワースポットとか騒いでますケド、宇宙から見れば、地球は、パワースポットやし、地球規模で見れば、日本という国自体が、パワースポットですワ・・・

もっと言えば、人間が一番のパワースポットなんですケドね・・・

自分を否定し(傷つけ殺し)、大事にせず、生きていること自体アタリマエで感謝もせず、避けやタバコで身体を穢し、毒ガスを吐く・・・・

こういう人ほど、に求めます・・・・・・

スキマを外にある、何か他の凄そうなもので埋めようとします・・・・

そのあたりがわかってくると、力が無尽蔵に身体の中から沸いてくるのが感じるようになるでしょう

わかる人には、わかる    ワカラン人は、絶対にワカラン  そんなモンです

あなたにとって本当に必要なものは、外にはありまへん

自分の中にしかありまへん

訳のわからんモンに頼らんことです

       

2012年9月14日 (金)

神社仏閣に参拝するにあたり9 「悪いことが起こる」編

神社仏閣に参拝してから、身体が重い・悪いことが起こると言われる方がおられるようですが、本当でしょうか

人それぞれ、様々な原因があるでしょうから、大まかなケースをお話したいと思います。

ちなみに  このシリーズは、平野郷とは直接は関係のないシリーズですので、平野郷で検索されて、この記事がトップページに表示されたら、他の記事を見てくださいねぇ~

この神社仏閣に参拝するにあたりシリーズを、続けてご覧になった方は、大体お解かりかもしれませんが、私達が、この世に生まれてくる、大きな目的の一つが、チャレンジすること、そして経験することです。

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悪いことが起こっても、それが良い方向に進むための場合

ああなりたい、こうしてください・・・ と いうような願い事を、正神は叶えてはくれません・・・

霊的存在で言いますと、願いを叶える為に、奔走してくれているのは、実は、あなたと霊線(家系)で繋がる、安心境地におられる先祖霊さまなんです。

ですが、簡単に何でも、願い事を叶えてくれるわけではありません・・・

皆さんだって、子供が、あれ買って・これ買ってと言われて、ハイハイと与えているわけではありませんよね・・・

それは、経済的にも、子供のためにも良くないからです。

努力も何もしないで、何でも与えていたとしたら、将来ロクな大人にはならないでしょう・・・

ご先祖様だって同じなんです・・・

子孫(孫)の欲しいものを、何でも、すぐに与えてくれる、ご先祖様(先祖霊)もいないんです・・・

課題を乗り越えることで、願いが叶うよう(気付くよう)に、神縁(仏縁)を結んでくれています。

そう  直接的に、ポンと叶えてくれるんじゃないんです・・・

あくまで、本人の努力が必要ということですワ・・

それでも、待ったをかけたり、背中を押したり、相手の神様の所に行ったりと、大変なことをしてくれているんです・・・

正神は、神界のルールで手助けは出来ませんが、ご先祖様は、子孫に対して、そっと手助けすることを許されています。

生まれた時に来た道である、家系の霊線を使わせてもらった御礼と、恩返しとして、どの霊体も一定期間、お世話していただいているようです。

これが、世間で言う「守護霊」と呼ばれている存在にあたります。

この守護霊さまも、次の転生のために、家系の霊線から離れ、新たな、国や家系に生まれていくこともあれば、その子孫が、死ぬ時まで守護されているという場合もあります。

で  この場合の悪いことが起こるというのは、「課題」ということになります。

この課題を出したのは、実は、神様でも仏様でも、守護霊さまでもありません・・・

私達、当の本人が、生まれる前に、産土神(うぶすながみ:その土地ごとの神様)と相談して、自分で決めてきたことです。

生まれる家系、つまり 自分の計画した粗筋(計画案)を達成できるであろう、親を選んでこの世に来ているのです  

(忘れていますが・・・・・・)

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神社という鏡に反射している場合

このシリーズでお話しましたように、神社はのようなものです。

ただ神社によって反射率が、違いますが、神社の鏡に映った穢れた自分に対して、良心(各人がそれぞれ心に預かる神様)が悲しんでいる違和感を、「重い」などと感じることもあります。

自分さえ良ければ良いという願いをしている自分は、醜い姿で映るようです・・・

その願いが、世界の平和であったとしても、神様を使役しようとすることであり、良心(内なる神仏)は悲しむんですねぇ・・・

神社仏閣などの神霊には、感謝のみを奉げる参拝が正しいんです・・・

本当は  外の神霊よりも、自分の内側の神霊(内なる神仏・良心)があなたにとっては 最高神なんです

まずは  自分の心(良心)  そして、その先の霊線で繋がる先祖の霊  それからやっと  外の神仏のお世話という順番となります

もちろん 一つずつクリアしていくもんではありませんから、同時にお世話していくんですケド

何処そこの神様は、ご利益があって、やれ なんとか神だ、なんとか仏だとか言っている方は、自分の良心・先祖縁者のお世話を飛ばしているんですワ・・・

自分の内なる神様すらお世話できない(育てられない)人に、外の神様のお世話なんかできへんのです・・・

砂場に家を建ててる状態やから、揺れて、不安で仕方ないんです

せやから、小手先で何とかしようと、神仏探し、霊能者探し、グッズ探しをするんや・・・  

ホンマ 逆方向にロケット噴射状態ですワ (゚m゚*)

  どないしたらエエかて??

外・他所・他者に頼る、スガルのをヤメルことです

そして  まず自分の良心を育てることですワ  感謝の心を貯めることです

他のもの(人・動物・自然環境など)のために実際に動くことです

最初は、「偽善やん」と思ったとしても構いません

でも  特別なことをする必要はありません  

身の回りの、小さなことから始めましょう  困っているものにそっと手を差し伸べる  その積み重ねなんです

何の得もあれへんけど  そのうち  それがアタリマエの行為となります

その頃には 今まで見えなかったものが見えてくる(わかってくる)と思います

また 宗教的なことや(新興宗教に熱心だとか)、スピリチュアル的なこと(ヒーリングやセミナー、行法、霊的グッズなど)をしている人は、正しい神社仏閣では、身体が重くなったり、疲れたりすることもあるでしょうね・・・

それが穢れになっていることがわからないんです

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祓われていない神社仏閣だったという場合

人間の欲の念はすごいものです・・・

金運・恋愛運 などなど有名な神社仏閣などには、雑多な気が持ち込まれて、大きくなっていることがあります。 

その気が滞り、祓われていない神社仏閣に参拝し、祈願したとすれば、良からぬ霊的存在(動物の形象をとっていることが多いです)が憑いてくることがあります。

神主・住職が、欲に取り付かれているような、神社仏閣も多いです・・・

その違和感として、重いと感じるんですねぇ~

また 悪霊を、神として祀る契約で、鎮めている祠や、お宮、土地なども多いです。

たとえ、このような神社仏閣に行かれても、感謝のみを奉げている分には何の問題もありません・・・

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悪いこと(良くないこと)は、誰にでも、必ず起こります。

陰陽それが1つ  セットだからです。

言い方を換えれば、今が苦しくても、大丈夫だということです。

明けない夜はありません・・・

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ここで  たとえ話です

ある所に  AさんBさんという双子の兄弟がいました。

そして ある時、同時に、この2人に、良くないことが起こりました。

Aさんは、なんて自分はついていないんだ、なんて不幸なんだ・・・ 自分なんて と嘆き、こうなったのは○○のせいだと思いました。

Bさんは、良くないことが起こったけれど、これくらいで済んだ、不幸中の幸いだ   これも神様のお蔭だと思いました。

実は、神様が、2人に全く同じ、良くないことを与えられていたのでした。

でも、受け取り方は、真逆ですね・・・

その後の人生では・・

Aさんは、自分の人生は、悪いことばかり起こり、辛く不幸な人生だったと感じ

Bさんは、良くないこともたくさんあったけれど、自分なりに頑張って、よくやったと感じたそうです

人間の寿命なんて、長くても100年程やから、ありがたく楽しんで生きるのが、お得やと言うことですワ・・・・

ジャンプするためには、屈伸しなければできません

ジャンプ(良いこと)はしたいけど、屈伸(悪いこと)はイヤ

これでは、ジャンプ(成長)することはできません・・・・・・

「努力はいらんけど、エエもんだけは欲しい」 こんな願いを、神霊はどう思うでしょう・・・・・・・・

そして、自分の良心(心に預かる神様)はどう思うでしょうか???

極意としては、「悪いことも、受けきること」です

つまり、問題に対して、先送りしない逃げないこと

精一杯  解決するために努力することです・・・・

結果ではなく、どれだけ努力したかが問われます

そして、「他人に任せない」ということです

人生の岐路に、迷う、悩むことはよくあります。

ですが、占いや、霊能者などの他人に、人生のハンドルを握らせないことです。

二又の、右を行っても、左を行っても、実は、そう変らないのです・・・

自分で決めて進んだのならば、どちらであっても正解なんです・・

成功する人は、どの道でも成功するんデス

人に言われて、決断した道ならば、ほんの少しうまくいかなくなっただけで、後悔し始めます・・・

要は、見方、感じ方次第ということです

明るく受けきる人は、よいことばかり  悪く受けきる人は、悪いことばかり

これが実際です

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気付かずに、不敬なことをしていた場合

古来からある神社などでは、眷属神という正神を守る霊的存在が、現在でもいます。

この眷属神は、正神に対する不敬に対しては、容赦をしません・・・・・

神域での行動を、つぶさに見張っています

何らかの不敬な行為をしたとしたならば、悪いことが起こります(罰が当たる)

それに気が付かずにいるということもよくありますが、思い当たることがあれば、遠方ならば、その方角に向かい、頭を下げ、心から謝罪することです。

改心した者に対して、更なる罰を与えることはありません。

行けるのであれば、直接出向き、心から謝罪しましょう・・・

でも、派手派手な服や、ラフな服装では行かないように・・・

着古していても、キレイな大人しい服装ならいいでしょう。

謝罪に行っているということをお忘れなく

ふざけて謝罪してると、火に油を注ぐことになりますよ・・・

いずれの場合も、気付かしていただいたと、感謝の思いをためていけば、上書きされていきます。

このほかにも、様々なケースがありますが、このくらいにしておきます

おしまい

おまけ

あまり良い状態でない神社仏閣や、宝くじが当たるだの、お金が儲かるだのいう お宮などに参拝していた・祈願していた・した場合

そういうところは、表面上、お祀りしている御祭神とは違う霊的存在の場合も多いです。

稲荷神だから、弁才天だから大丈夫なのではありません・・・

人間だって、医者や弁護士になりすまして、詐欺をする人がいるでしょ

こういうお宮では、急に参拝するのを止めると、一度に請求書が来ることになります・・・・

Σ(゚дlll)アブナッ ! 飲み屋と同じやん・・・

感謝だけの参拝を続けているうちは、少なくとも、請求書の先送りができます

欲にかられて、ややこしい神霊・自然霊(精霊)などにお願いせんことデスワ

おまけのおまけ

「この世は、やり逃げ・逃げ得  ズルをしても、人をだましたり、悲しませたり、様々なものを破壊しても、死ねばそれで終わり、チャラ」と思われている方が多いようですが、そんなことはありません。

自分が行なった行為は、全て1厘1毛まで自分に還ってきます

生きている内か、死んだ後かの違いはあってもです・・・・・・・

このルールは、どんなにエライ人でも、お金持ちであっても、貧乏でも、公平・平等で、自分のしたことが自分に反射する・・ 冷酷なまでに・・・ 例外はないんです。

鏡に顔を映した時に、鼻だけ写らないなんてことはないでしょ

全てが、等しく、転写されるんです

肉体レベルでは、80年そこそこで朽ち果てますが、魂レベルではそうではありません。

肉体レベルの表現をするのならば、魂は、生き通しです・・・・

自分は、悪いことばっかりと嘆いていますが、本当は、今が、生きているうちに、打ち消すことが出来る、チャンスタイムなんです。

肉体を脱いだ、魂レベルでは、もうすでに打ち消すことが出来ません。

さらに、肉体が無いことで、精神感覚しかありませんから、それはかなりの、苦痛・後悔のようです。

悪いこと(ネガティブな行動・感情・思考)をしたのなら、善で打ち消すことです

生きている間だけが、可能です。

それも、今回 苦労して生まれてきた目的の一つですやん  忘れてはりますケド・・・(@Д

やから、人や他の存在に依頼して、逃れようなんて、アホなことなんですワ・・・

お金と時間かけて、さらに 悪いこと×二乗が還ってキマス・・・ Σ(゚д゚;)なぬっ

さらにおまけのおまけ

悪いことばかりで、中には、何のために生まれてきたのかわからないと言われる方もおられます

以前の記事や今回でも、お話しましたように、魂は生き通しです

そう  何度も生まれ変わって、この世に来ているのです

ですが、そうそう簡単に生まれ変わることは許されません・・・

どうして、そんな大変なことをしてまで、生まれ変わるかと言いますと

何度もこの世に生まれ変わってくる、大きな目的の一つが、経験することだからです

いいことも、悪いことも、うれしいことも、悲しいことも、苦しいことも、悔しいことも、楽しいことも・・・・・・

何かが起こるということは、進んでいる(動いている)ということです

時間限定のこの世に、やっとの思いで来たんです・・・・

なんだ そうか・・・ そういうことか・・・・  それなら 楽しんでやるぞと、力を抜くことです

そうか、体験させてもらっているんだ・・  経験している途中なんだ・・・  あの嫌な上司も、かわいそうな人だ   でもそれを代わりに、見せてくれているだけ(鏡)なんだ

自分なりに、楽しみましょう

今あなたがいる場所(世界・現状・立場)で、せいいっぱい努力しましょう

ほんの小さなことでもかまいません  周りの人に与えましょう  して差し上げましょう  許してあげましょう  

与えている(損をしている)のは、実は自分のためだったんだ  自分に全て還ってきていた  と気付ける日が来ることでしょう

自分の心(良心:心に座する神仏・霊的存在)を責めない・痛めないことです

自分くらい、自分を応援してあげましょう

ごめんね 今まで気付かず苦しませたね  

今まで本当に ありがとう と、ねぎらってあげましょう

あなたは あなただけの もの ではないのです

一人ではありません

ご先祖様(守護霊さま)も、見守っておられます

生きている間は、いつでも 良心(心の奥底に座する神様・仏様)と二人三脚です

それを感じれるか、感じれないかは、あなたの生き方次第となります

人生は短いです  悩んでいても一日  笑っていても一日

あと何回  の咲くのを見れますか

大切な残り時間を、グチや文句で無駄にしていませんか??

悪いことは、自分を成長させるための糧  過去からの悪因を絶つための、己が用意した試験であり機会です 

 

 

2012年8月 3日 (金)

神社仏閣に参拝するにあたり8 魂編2

前回記事 魂編1からの続きになります

人が亡くなる時に、その方と供に歩んで来られた神様が肉体より去られます。

そして、自我の消えた魂だけとなり、自分の一生を、一瞬で追体験します。

良い行いと、悪い行いを、自らが裁きます。

自我が無いので、自分に甘く判断することはありません・・・

外の霊的存在の、神様や、閻魔大王・十王が裁くのではありません。

自分の内に存在する、閻魔大王が裁くといった方がよいかもしれません。

一生分の行い全てが空間に記録されてあり、隠すことも、偽ることもできません。

(それを浄玻璃の鏡と表現していますね)

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その時になって、多くの魂は、「なんてもったいない生き方をしてしまったんだ」「なぜもっと、素直になれなかったんだ」「どうして優しく生きれなかったんだ」「取り返しの付かないことをしてしまった」など、後悔されます・・・・・・・

それが、四十九日という期間であり、その後、善悪の差により、自分の行くべき世界に引き寄せられて旅立ちます。

え゛っ!それやったら、今のワタシの生き方あかんやん・・・・・・・・・・

と思われた方も、今ならまだ大丈夫です。

生きている間は、良い生き方(善行)をすれば、上書き修正することが可能です。

生きている期間というのは、本当にチャンスタイムなんですワ・・・

やったことに対して、1分1厘まで、キッチリ  正負の法則が発動します。

時間差があるのと、関連付けできないので、わからへんだけです。

ウソやぁ~ん?? でもホンマやったら怖いから、ちょっとだけ生き方変えてみようかなと思ったアナタへ

この世は、現実の世界です。 つまり行動・行為が大事なんです。

神様に祈っていますじゃなく、自分の周りの存在に手を貸すという行動・実行が優先される世界なんです。

神様を使役させる発想や、他人のフンドシで相撲を取る発想ではなく、自分から波を創り出す、創造することが大切です。

その際、「これって偽善とちゃうのん」と感じるかもしれません・・・

また、周囲の人は、好きなことを言うことでしょう・・・

でも、気にしないことです。

基準は、自分の良心にフタをしない  良心に恥じない生き方・行動をすることです。

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神道で言う、随神(かんながら)というものは、特別な修行や瞑想して発現することではありません・・・

それぞれの立場、生活の場において、「生かされている」ということに対する感謝の意識をもって、一生懸命に生き切ることなんです。

それぞれの生活の中で、真剣に生き切れば、必ず花開きます。

その花を、色や大きさ、個数など、比較するものでも、誰に見せるものでもありません。

自分の良心にウソをつくのか、正直に従って行動するのか  そこが大切です。

瞑想や、宗教的修行が必要なんて、実は誤りなんです

あの世は、精神世界ですから、魂だけの存在となれば、現実界の紙切れ1枚動かすことはできませんし、良い行いをしてこなかった魂はツライ世界やと思います。

時間が存在しない世界やから、お好きな瞑想も何億年分もできまっせ・・・

人間の寿命なんて、80年ほどです・・・  お正月たった80回でっせ・・・

あと桜が咲くのを何回見れます  それほど今生きているのが貴重な時間と言うわけです。

(魂は魂なので、いい魂も、悪い魂もありません  良い行いを積んだ魂か、そうでないかなんです)

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ついでにと言うのもなんですが、自殺についてお話したいと思います。

自殺される方の理由は様々でしょうが、その多くが、その状況が永遠に続くと感じ、現実から逃れたい一心だからだと思います。

この世は、時間限定の世界で、いずれは、魂以外は消えて無くなります。

死んだ後は、精神レベルのみですから、肉体の痛みからは解放されるものの、苦痛と後悔の思いを数千倍・数万倍感受することになります・・・・

自殺された魂は、死後「何で自殺なんかしてしもたんやぁ!!!」と大後悔されます。

それは、より苦痛の世界に行くからではありません

自分がお預かりしていた神様を殺してしまったことに気が付くからです。

与えられた寿命を生き切った魂には、ある程度の自由度がありますが、自殺した魂にはそれがありません。

ペラペラになっていたり、埋もれていたり、刺さっていたりします・・・・

自らを鎖で縛り、重りを付け、箱の中などや深海・巨石の中に閉じこもります。

人間の引きこもりは、数年・数十年ですが、この魂の引きこもりは、何千年とか続くこともあります・・・・・

のんびり引きこもっているのではなく、地獄という世界に自ら身を置き、自分に罰を与え続けるのです・・・・

こうなると、よほど子孫による思いやりの供養がないと、引き上げるのは難しいでしょう・・・

自殺した方がまだ楽だと、追い込まれ、発作的に自殺してしまうのでしょうが、楽になると思ったら実は、大間違いです。

人として誕生するのは、時間限定の現実世界で、問題を乗り越えることにより、成長することにあります。

どういう状況・形でさえ、生き切る(自分の神様を守っている)ことが大事なのです。

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おしまい

ああしんど・・・ 次回は、いつものお気楽な、平野郷周辺の記事にしたいと思います